ペルー子連れ旅行記〜マチュピチュ遺跡観光編

2019年4月7日

ペルー子連れ旅行(長男中1、次男小4)滞在5日目、マチュピチュ駅からシャトルバスでハイラムビンガムロードを登って来て、ついにマチュピチュ遺跡の入り口に到着しました。この編では世界遺産マチュピチュ観光の様子を写真とともにお伝えします。

マチュピチュの入場料とチケット購入方法、注意事項、有料トイレ

マチュピチュの入場ゲート

マチュピチュの入場料

  • マチュピチュ遺跡のみ 大人s./128(およそ45ドル) 学生s./65
  • マチュピチュ遺跡とワイナピチュ 大人s./152 学生s./91
  • マチュピチュ遺跡とマチュピチュ山 大人s./142 学生s./81
  • *シャトルバスとのセット券もあります(およそ70ドル/手数料込み)

入場チケット購入方法

遺跡入り口では入場券の購入は出来ません。あらかじめウェブか、クスコ、マチュピチュ村の文化庁(INC)の窓口で購入しておきます。ツアー参加の場合は、旅行会社が手配してくれます。入場券を持っていても、入場ゲートを通過するためにパスポートの提示が必要となります。パスポートを忘れずに持参して下さい。一度遺跡の外に出ても同じ日なら再入場可能です。

*マチュピチュ入山予約公式サイト https://www.machupicchu.gob.pe/inicio (別タグが開きます)

言語を英語に切り替え、左側の4つの選択肢から日本人は一番上の「GENERAL」を選択肢します。

入場人数制限

マチュピチュ遺跡:1日2500人

ワイナピチュ:1日400人

当日マチュピチュ村のINCへ行っても、入場制限のため遺跡入場チケットが購入できないケースも考えられます。できれば日本出発前にオンラインで予約するか、旅行会社を通じて手配するのがいいと思います。

入場者の注意事項

貴重な世界複合遺産であるマチュピチュを守るため、見学者には以下の事項を守ることが義務付けられています。

  • ペットボトルの持ち込み禁止/飲み物は水筒に入れて持参します
  • 大きな荷物は持ち込めません/20リットル以上の容量がある荷物は持ち込めません。遺跡入り口にある預かり所に預けます。
  • 食べ物も持ち込めません/遺跡内には食堂や売店はありません。入場ゲートに隣接するホテルのレストランでは飲食可能です。
  • 金属製スティックや三脚の使用禁止/年配者や障害のある方はゴム製のカバーをつければ持ち込めます。
  • トイレはありません/入場ゲートの外側に有料トイレがあります。また遺跡に隣接するホテルで食事をすればホテル内のトイレが利用できます。
  • 火気厳禁/遺跡内での喫煙やたき火は禁止されています。
  • その他遺跡の石組みの上に立ったり登ったりしないこと/遺跡内を流れる水を汚さないこと/矢印などで指定された場所以外には立ち入らないこと/ゴミは持ち帰るか遺跡内のゴミ箱を使用すること/遺跡周辺の生態系を崩す原因となるような行為に関わらないこと

マチュピチュサンクチュアリロッジ

マチュピチュ観光の子連れ注意点

日焼け対策、日射病対策

日差しが強いため日焼け止めアイテムや帽子は必需品です。

こまめな水分補給

遺跡内は坂や階段が多いため、熱中症や高山病、脱水症を予防するためにこまめな水分補給を心がけて下さい。ただし遺跡内にはトイレがありませんので、水分取り過ぎにも要注意です。

虫除け対策

5~8月はブヨが発生するため長袖のシャツ、長ズボン、虫除けスプレーがあれば安心です。

写真撮影のマナー

遺跡内ではいたるところでいろんな人がいろんな角度で写真を撮っています。特に人気の撮影スポットでは順番を守り、自分たちの撮影が終ったらすみやかに場所を開けるようにマナーを守りましょう。日帰り客のいない、早朝や遅い午後は遺跡内がガラ~ンと静まり返り、思う存分好きな場所で写真撮影ができます。

できれば滞在を

日本から遠いマチュピチュにせっかく行くのに後悔のないよう、できれば現地に1泊以上してゆとりを持った観光プランが組めるように工夫してみて下さい

マチュピチュの有料トイレ

マチュピチュの有料トイレ。トイレの上には無料休憩所がある

有料トイレ

シャトルバスを降りた先に有料トイレと売店があります。トイレの利用料金は1ソルです。遺跡内にはトイレはありませんので、どうしてもがまんできない人はここを利用します。トイレ使用のためにいったん遺跡から退場してもチケットがあれば再入場できます。

また入り口に隣接するホテルのレストランで食事をすればホテルのトイレを無料で利用できます。

トイレの上には無料休憩所があります。

有料トイレの入り口

有料トイレの入り口。お金を払って入場します

入場ゲート

トイレ入り口横に、音声ガイダンスを聞けるヘッドフォンセットのレンタル窓口があります。料金は忘れてしまいました。

入場ゲート前の広場

バスを降りたすぐ横にある階段を登るとマチュピチュ遺跡への入場ゲートがあります。背後にはワイナピチュも見えます。

マチュピチュで見た野生動物

可愛い動物が気持良さそうに昼寝をしていました。いったい何の動物でしょう?リスみたいですがしっぽの形が違いますね。マチュピチュは文化遺産だけでなく自然遺産にも登録されているので、このように可愛い動物を見つけてもさわったりエサを与えたりしてはいけません。

では入場ゲートを通ってマチュピチュ遺跡へ入りましょう。

遺跡トレイルを進むとまず5つの貯蔵庫が見えてきた

マチュピチュ遺跡の入口

入場ゲートから遺跡トレイルを歩いてきて一番最初に目にする建物が5つの貯蔵庫群

マチュピチュ遺跡の入口

入場ゲートをくぐって少し進むと、遺跡入り口の建物があります。ここではチケットを確認するなどのチェックはありません。というか誰もいません。建物の壁にマチュピチュ遺跡内での禁止事項や見学者が守るべき義務が掲げられています。内容は前項「入場ゲート」を参照して下さい。

この先をちょっと進めば遺跡が見えるはずなので、観光客はみな早足でこの建物を通り過ぎるため、わざわざ立ち止まって注意義務を読む人はいませんでした。

遺跡入り口の建物をくぐる

遺跡トレイルをすすむ

遺跡入り口の建物をくぐり先へ進むと、ハイキングコースのようなトレイルが続きます。トレイルの地面は踏み固められて歩きやすいです。

マチュピチュ遺跡のトレイル

進行方向の右手が谷側です。木製の柵があり谷のほうへ落ちないようになっています。下をのぞくと足がすくむくらいの高さがあります。ひゃぁ~~!

ワイナピチュの眺め

大きな岩が出っ張ってる所をまくように曲がると、いきなり正面にワイナピチュが見えてきます!本当にマチュピチュに来たんだ、と感激するポイントです。道幅が少し広くなっていてまわりの景色をゆっくり眺めることができます。

遺跡トレイルからの眺め

絶景~~★!

雑誌やテレビではマチュピチュ遺跡だけ取り上げられますが周囲の山々の眺めも素晴らしいです。下を流れるのはウルバンバ川で、この谷の深さは約400mあります。

いよいよマチュピチュ遺跡とご対面

貯蔵庫

さらに進むと正面にワイナピチュと石造りの建物群が見えてきます。これがマチュピチュ遺跡で最初に出会う建物群「貯蔵庫」です。

貯蔵庫

マチュピチュ遺跡に入って最初に出会う建物の貯蔵庫。背後にはワイナピチュがそびえる

段々畑の脇に作られた貯蔵庫には、畑で収穫されたジャガイモなどの農作物や、農機具も保管されていました。5つの貯蔵庫が残っおり、屋根には茅葺きが復元されています。貯蔵庫にはいくつもの窓があり風通しが良く、食材などを保管するのに適した構造となっています。

一番上の貯蔵庫へ登る

入り口から続く遺跡トレイルは上から3番目の貯蔵庫の前に着きます。そこからくねくねの階段を登って一番上の貯蔵庫へ行きます。

一番上の貯蔵庫

一般的なルートは、一番上の貯蔵庫よりさらに上にある見張り小屋まで登ります。見張り小屋からは雑誌たテレビなどで有名なマチュピチュの代表的な眺めを見ることができます。しかしこのとき私達のガイドさんは見張り小屋へは上がらず、一番上の貯蔵庫まででそこから上には登りませんでした。

貯蔵庫から見たマチュピチュ遺跡

これが一番上の貯蔵庫からの眺めです。マチュピチ遺跡の中心部が同じ高さの目線で俯瞰できます。

下の貯蔵庫のほうを見た眺め

こちらは下の貯蔵庫を向いた時の眺めです。谷底へ落ちて行くような急勾配ですね。右へ伸びる道が入り口から来るトレイルです。

貯蔵庫から市街地へ向かう

見張り小屋へは登らず、段々畑(アンデネス)を横切って市街地へ向かいます。前方にワイナピチュが見えていかにもマチュピチュにいる気分です。本当にいるんでが(><)。

背後を振り返って見た貯蔵庫

後ろを振り返ると急斜面に貯蔵庫が建っているのが見えます。バックに見えるアンデスの山々の眺めもいいです。

マチュピチュは何の目的で造られたのか?〜アンデネスとチチャ酒にその答えが隠されている

マチュピチュのアンデネス

400年の眠りからさめた謎の空中都市

マチュピチュは標高2940mのマチュピチュ山と、標高2690mのワイナピチュ山を結ぶ尾根の上に造られた都市遺跡です。断崖と尖った山々に囲まれ、密林に覆われた麓からはその姿を確認することは出来ません。空中からしか存在を確認できないことが「空中都市」と呼ばれるゆえんです。

16世紀前半、スペインによりインカ帝国が征服されると、スペイン軍はことごとくインカの都市を破壊し尽くしました。しかし空中につくられたマチュピチュはスペイン軍に見つかることなくほぼ無傷のまま残されました。そして1911年7月24日、アメリカの探検家ハイラム・ビンガムが「発見」するまで、インカ帝国の滅亡からおよそ400年もの間、マチュピチュは急峻な山の頂にひっそりと眠っていたのです。

まるで現代にタイムスリップしたかのように、失われたインカの都市づくりを今に伝える貴重な遺跡であるマチュピチュは、1983年、文化遺産、自然遺産の両面で「複合遺産」としてユネスコ世界遺産に登録されました。

マチュピチュを見学する子ども達

貯蔵庫からまっすぐアンデネスに沿って歩いてきて市街地に入る手前で撮った写真

何のために造られたのか?

スペイン人の破壊からまぬがれほぼ完全にインカ帝国時代の姿を残すマチュピチュは、それがゆえに新たな別の謎を我々つきつけました。それは、何のためにこんな険しい場所にこれほど大きな都市をつくったのか?なぜマチュピチュに住んでいた人は突然姿を消したのか?という謎です。

マチュピチュは1450年頃、インカ帝国第9代皇帝パクチャティの時代につくられたとされています。しかしインカ文明は文字を持たなかったため、マチュピチュが何のためにつくられどんな人が住んでいたのか、解明されていません。

山の斜面を埋め尽くすようにつくられたアンデネス

山の斜面を埋め尽くすようにつくられた段々畑/アンデネス

アンデネスとチチャ酒

謎を解く鍵はマチュピチュ遺跡のかなりの部分を占める段々畑/アンデネスの存在です。実際マチュピチュを訪れると急峻な斜面を覆い尽くすようにつくられたアンデネスの存在に目を奪われます。マチュピチュの定住人口は500人から1000人と推測されており、その人々の食料供給源としてアンデネスは重要な役割を担っていたことは間違いありません。

しかしそれにしては規模が大きすぎないでしょうか?それになぜ急峻な斜面の山頂付近までびっしりアンデネスを作る必要があったのでしょうか?

その答えは、インカ帝国が広大な領土と多数の部族を統治するシステムにあったと考えます。インカ帝国は支配地域を広げていくに合わせて、帝国の各地に石組みのアンデネスをつくり続けていきました。山中にあるインカの遺跡にもアンデネスはありますが、マチュピチュのように山頂付近の、耕作には不便と思われる崖っぷちにもアンデネスはつくられています。

こような場所につくられたアンデネスは食料確保のためのものとは考えられません。古代ローマでは、国に仕える官僚や兵士に「塩」を支給していました。塩はラテン語で「SAL」といい、これがサラリー(給与)の語源になっています。インカ社会において、古代ローマ時代の塩に相当するものが、トウモロコシからつくる酒チチャでした。

チチャ酒はアンデネスで耕作されるトウモロコシからつくられ、インカ支配階級から地方の有力者や兵士に与えられるものの中でもっとも重要なものだったのです。そして神聖な場所にあるアンデネスでつくられたチチャ酒は、人々により大きな価値を与えていたと思われます。そうだとすると、マチュピチュはインカ帝国の統治をより強力なものにするための神聖なチチャ酒をつくる宗教施設だったと考えることはできないでしょうか?(私の推測です)

太陽神を崇めるインカの人々にとって、太陽に近い険しい尾根の頂にある荘厳な場所でつくられたチチャ酒は、インカ帝国の発展の礎を担うほどのブランドパワーを持っていた可能性があります。そしてインカ帝国の滅亡と同時に統治手段であるチチャ酒をつくる必要がなくなったため、マチュピチュは放棄されたのではないかと考えます。

マチュピチュのアンデネス

頂の上に建つ見張り小屋まで斜面がびっしりとアンデネスで埋め尽くされています。マチュピチュの住民の胃袋を満たすだけならこれほど膨大な数のアンデネスは必要なかったのではないでしょうか?

アンデネスを見下ろした写真

アンデネスを見下ろした写真。草を食べるリャマがいました。

アンデネスの説明をするガイド

貯蔵庫からまっすぐアンデネスを横切り少し広い場所で立ち止まりました。ここでガイドさんの説明が始まります。

ハイラムビンガムの写真や彼が発見した当時のマチュピチュの写真を見せながら、世界遺産マチュピチュについて説明してくれるガイドさん。

ハイラムビンガムの写真

これがハイラムビンガムです。ガイドさんの説明は英語でおこなわれました。

日本語で説明が聞けるヘッドフォン

子供たちはヘッドフォンで日本語音声の説明を聞いています。

アンデネスとマチュピチュ

アンデネスエリアと市街地の境界付近からの眺め。市街地の下のほうにもアンデネスがつくられています。そして背後にそびえるワイナピチュ山の山頂にもアンデネスがあります。

市街地へ入る門

では門をくぐって市街地に進入しましょう。

マチュピチュ城壁内にある市街地の見所

マチュピチュの市街地

マチュピチュの市街地

貯蔵庫からアンデネス(段々畑)の上の通路を水平に歩きマチュピチュの市街地に入ります。前項でも説明しましたが、マチュピチュ遺跡の東側半分と南北に伸びる尾根の下部はアンデネスが占めています。そしてアンデネスと市街地の境界には石組みの城壁が築かれています。城壁には2か所の門がありそこが市街地への入り口です。わたしたちは中段にある門から市街地へ入ることにしました。

市街地の北側の風景

東側のアンデネスから市街地北側を見た写真。

手前の低い位置にあるのが庶民の居住区、その上がコンドル神殿、そしてその上に技術者の居住区があり、一番高い所に貴族の居住区があります。

城壁とメイン広場

こちらは市街地を囲む城壁とメイン広場の南側の写真です。城壁の中に見える曲線の石組みの建物が太陽神殿です。その手前に王女の宮殿、奥に王の別荘があります。また写真奥の高い場所に見えるのが神官の館、3つの窓の神殿、主神殿のあるエリアです。

このようにマチュピチュ遺跡は、大きくアンデネス(段々畑)と市街地の2つのエリアに分かれ、市街地はさらに、居住区、神殿エリア、広場などに分かれています。

アンデネスと市街地の境界エリア

アンデネスと市街地の境界エリア。上の写真で左側がアンデネス、右側が市街地です。2つのエリアの境界は急な傾斜になっていて階段で上下に移動します。

城壁とその内側の市街地

少し離れたところから見るとわかりやすいですね。市街地の城壁と階段が斜面に沿ってななめに伸びています。市街地の下の部分が太陽神殿エリア、上の部分が作業小屋群です。

また写真の奥にメイン広場とその後ろにワイナピチュの頂が見えます。

城壁とリャマ

境界の階段がある城壁のところでもリャマがもくもくと草を食べていました。

市街地への入場門

市街地の入り口にある門

斜面の最上段にある市街地への入り口です。入り口がこのように狭くなっているのは、敵に攻められたとき一度に大勢の軍隊が進入できないようにするためです。また門の内側から木製の扉を閉めることが出来たようです。

門の背後にワイナピチュが見えます。入り口近くの手前でしゃがんで見ると、門の中にワイナピチュが見えます。額縁の中にワイナピチュが写る素敵な写真が撮れますよ。

一般的なマチュピチュ市街地の見学ルートでは、上の写真の最上段の門から市街地へ入り、主神殿などがある南側エリアを見学し、それから西端のワイナピチュ入り口>北側の居住エリアと反時計まわりにまわって、最後に太陽神殿や女王の宮殿など見学し、城壁中段の門から外に出る、というのがモデルコースとなっています。

マチュピチュの市街地を歩く子ども達

マチュピチュ市街地の見所

  • 太陽神殿 曲線を描く石組みで作られたマチュピチュ遺跡の中で最も美しい建物。市街地東南エリア。 
  • 王の別荘 室内に皇帝の水洗トイレがあります。太陽神殿の隣。
  • 水の神殿遺 跡内にある16か所の水汲み場のうち太陽神殿のすぐ下にある水汲み場は水の神殿と呼ばれています。
  • 王女の宮殿 美しい石積みの2階建ての建物。部屋の外側に階段があります。太陽神殿のとなり。
  • コンドルの神殿 コンドルが翼を広げたような石積みの建造物。北東エリア。
  • インティワタナ マチュピチュの最高点に立つ日時計。南西エリア。
  • 3つの窓の神殿 主神殿、神官の館、神聖な広場と同じ場所にあります。南西エリア。

水路と16の水汲み場

マチュピチュの水路

マチュピチュの水路

インカ帝国が短期間のうちに南米大陸に広大な領土を築き上げることができた理由のひとつに「水の統治」があります。帝国のいたるところに網の目ように水路を張り巡らせ、灌漑用水路や生活用水路として整備拡大し、水の管理を徹底しました。

サイフォンの原理も知っていた可能性があり、石に溝を刻んだ地下用水路や、木をくり抜いて作った水管などを活用して水をくみ上げてました。インカやそれ以前の人々が作った水路には今もきれいな水がこんこんと流れ、生活用水として使用されているところもあります。

水汲み場

マチュピチュの水源

多くの謎に包まれるマチュピチュ遺跡ですが、「どこから水が流れて来るのか?」ということも大きな謎のひとつです。マチュピチュには太陽神殿などがある神殿エリアから居住区へ、遺跡内を上から下へ流れる水路があります。驚く事に、この水路には今でも水が流れていてますが、この水がいったいどこから流れてきいるのか、その水源についてはわかっていません。

標高およそ2400mの高さにあるマチュピチュには、そこより高い場所を流れる川や湖は存在しません。そうすると眼下400mを流れるウルバンバ川から水を汲み上げているとか、遥か遠くのウルバンバ川の水源から水を引いている可能性も考えられるわけです。

一番有力なのは、マチュピチュ山に降る雨水や霧の水滴を集めて水路に流してるという説ですが、仮にもインカ帝国の象徴的な存在であった神聖なる都の水源を、天候や気象条件によって左右されるものに頼るというリスクを取ったとは考えにくい、という反対意見もあります。いずれにしても、マチュピチュの水源を探した当てるためには、遺跡全体を掘り返さなくてはならず、当面水源探しは謎のままであり続けるでしょう。

水路を覗き込む子ども達

マチュピチュの神殿エリアから、下の市街地に流れる水路には16の水汲み場が設けてあります。

このうち第1~4の水汲み場は太陽神殿などがある神殿エリアにあります。そして第5~16の水汲み場は庶民の居住区がある市街地に設けてあります。貯蔵庫からアンデネスを横切って市街地に入った私達は、ちょうど神殿エリアの下に出ました。ここから水路に沿って神殿エリアを登って行きます。

水路に沿って神殿エリアを登る

神殿エリアでは水路を挟んで太陽神殿と皇帝の部屋が向かい合っています。そして太陽神殿の隣には王女の宮殿があります。水は人が生きていくうえで欠かせない物であり、マチュピチュ遺跡の中で最も重要なエリアを水路が流れているのです。

水路の流れを見下ろす

下の方を振り向くと庶民の居住区のある方へ水路が流れ落ちてくのが確認できます。ところどころに水汲み場が設けてあります。

それにしても足がすくむくらいの急勾配です。

水路に使われた石材

溝を掘った石柱が横たわっています。サイフォンの原理を利用して水をくみ上げた地下用水路のパーツの一部でしょうか?それとももともとここにあったものでしょうか?

水路と太陽神殿

水路のすぐ横に太陽神殿があります。ここは太陽信仰のあったインカの人々にとってマチュピチュで最も神聖な場所です。この近くに水が流れていない水汲み場がありそこは「水の神殿」と呼ばれているのですが写真を撮るのを忘れてしまいました。

背後には段々畑の石組みが美しいアンデネスとその上に見張り小屋が見えます。

水路の説明を聞く子ども達

皇帝や貴族、神官、住民たちが、毎日利用していた水路。住む人がいなくなり廃墟となったマチュピチュに、水だけが昔と変わらず流れているのを見ると、ちょっと不思議な気持になります。

太陽神殿と王の陵墓

太陽の神殿

インカ文明は文字を持たなかったうえ、マチュピチュについては、ハイラム・ビンガムの発見があまりにもセンセーショナルだっため、ビンガムによる研究、調査報告がなかば「信仰」のように長い間、受け入れられてきました。

「太陽の神殿」と考えられている建造物も、土台がクスコにあった太陽の神殿とよく似た造りになっていることからそう考えられています。ところが現在ではこの建造物の発掘品から、大地の神パチャママの神殿だったのではないか、という説も唱えられているのです。しかしどのような説があるにせよ、マチュピチュで唯一曲線のカーブを描く美しい石組みの壁を持つこの建物は、マチュピチュで最も重要で神聖な建物だったことは疑いの余地がないでしょう。

自然の岩の上に建てられた見事な石積みから、インカの技術レベルの高さをうかがえます。

曲線の壁を持つ太陽神殿

太陽神殿の2つの窓

太陽神殿の曲線の壁には、東と東南方向に2つの窓があります。

夏至の日には東の窓から、冬至の日には東南の窓から太陽の光がまっぐ神殿内に差し込み室内にあったと言われる黄金の像に反射してきらきら輝いていたと推測されます。ところで、私達の住む日本では、夏至の日が1年で最も昼が長く、冬至は1年で最も昼が短い日です。一方マチュピチュのある南半球ではこれがまったく逆になり、12月の冬至の日が1年でもっとも昼が長く、6月の夏至の日が最も昼が短い日となります。

まあ、南半球の国では12月が夏で6月が冬ですから「夏至」とか「冬至」という言い方がそもそも違うと思いますが。

太陽神殿内部の説明をするガイド

太陽神殿の窓から光が差し込む写真を見せて説明するガイドさん

太陽神殿の謎

現在は神殿内に入る事はできませんが、ガイドさんが夏至の日に室内に太陽の光が差し込む様子を写した写真を見せてくれました。本当に見事に一直線に光が差し込んでいます。上の写真は東の窓から光が差し込む様子ですが、東南の窓から神殿内に光が差し込んだら、それが種まきの時期の合図になり、種まきの儀式がおこなわれたそうです。

東南の窓から光が差し込む日は冬至で人々にとって1年の始まりでもあったと言われています。ところで、素朴な疑問なんですが、窓があれば冬至、夏至の日がわかりますが、最初に建物を作るときどやってこの場所に窓を作ったんでしょうか?そして窓の外側の壁に付いている4つの突起物は何を意味するのでしょうか?

太陽神殿の土台の石組みとその背後に見えるアンデネス

太陽神殿の土台の石組みとその背後に見えるアンデネス

陵墓

太陽の神殿の下部には、巨大な岩石に斜め半分を遮られた三角形の不思議な石室があります。石室の入り口には階段のようなものが見えますが、その先はどこにもつながっていません。この石室にはロフトや屋根裏部屋のような空間はありません。そして石室内部のほぼ中央には石の突起物が墓石のように出ています。

ハイラム・ビンガムはここをミイラを収めた陵墓と考えました。しかし発掘調査をしても実際にミイラが見つかることはありませんでした。

石室を見学する子ども達

見学者は石室の中に入ることはできませんが、入り口から中をのぞくことは可能です。ミイラが見つからなくてもこの雰囲気はいかにも陵墓という感じです。もし仮に陵墓じゃなかったとしたら、この部屋は何だったのだろうという疑問がわいてきます。

石室の入り口

この石室の真上には、夏至の日の日の出に太陽の光が差し込む窓があります。しかしこの石室の入り口は斜めに切られているため、内部に太陽光線が届く事は1年中ありません。太陽の光で儀式を行なった上部の神殿と、太陽の光が入らない下部の不思議な石室。

それらが上下で一体となっているこの建物は何か重要なメッセージを伝えているのかもしれません。

石室の落書き

不思議な落書き

石室の入り口にある階段状の構造物の2段目に落書きが書かれています。

そこにはペルー人、ヘスースさんとホアンさんの落書きで「1908年」と記載されています。

これが本当ならハイラム・ビンガムの発見より3年前ということになり、史実が覆される可能性もあります。

陵墓の入り口から見上げる太陽神殿

では太陽の神殿の左手の階段を登り、隣にある王女の宮殿と呼ばれる建物に行ってみましょう。

インカ皇帝の水洗トイレ

インカ皇帝の水洗トイレがある部屋の梁

王女の宮殿

太陽の神殿に向かってすぐ左隣には、きれいに揃った石を用いた精巧な石組みの建物があります。これは王女の宮殿と呼ばれている建物です。実際に王女がここに住んでいたという確証はありませんが、マチュピチュでは珍しい2階建ての建物であること、太陽神殿に隣接していること、レベルの高い美しい石積みで造られていることから、高貴な人が使用していた可能性が高いと言われています。

ハイラム・ビンガムは王女か貴族、または太陽の神殿を守るものが住んでいたと推測しました。

太陽神殿と王女の宮殿

上の写真は太陽神殿とその隣に建つ王女の宮殿です。石組みの壁の精巧さのレベルがそこだけ違うのがよくわかります。また宮殿の背後には段々畑のアンデネスとその頂上に見張り小屋が見えています。

太陽の神殿と王女の宮殿の間に階段状の通路があって、そこから王女の宮殿の入り口前にあるテラスのような場所に上ることができます。

王女の宮殿の土台のような建物には3つの窓があります。この建物は陵墓のすぐ隣にありますが、何の建物かよくわかっていません。中に入って窓から顔を出すといい写真が撮れますよ。

ところでインカの皇帝は「コヤ」と呼ばれるひとりの正妻のほか、「アクリャコナ」と呼ばれる選ばれた女性集団のなかから複数の側室をとっていました。マチュピチュでも同じスタイルの生活が営まれていたとしたら、やはりこの建物は王女の宮殿の可能性が高いと思われます。

王女の宮殿の横を登る子供達

王女の宮殿の横を登り、水路を隔てた反対側の建物に移動します。ここは皇帝の部屋と呼ばれる場所です。

皇帝の部屋

皇帝の部屋と水洗トイレ

この建物も実際に皇帝が使ったかどうか確証はありません。しかし重厚な造りの二重扉があること、太陽の神殿と向き合って立っていること、美しい石組みの壁があることから、やはり高貴な人物が使用していたと推測されています。

皇帝の水洗トイレ

何よりこの建物の希少性を決定付けているのが「水洗トイレ」の存在です。水洗トイレがあるのは、マチュピチュ遺跡の中でここだけです。しかもトイレは他の部屋から独立した個室になっていて、それもじゅうぶんな広さがありまさに「皇帝のトイレ」にふさわしい贅沢な造りです。

皇帝の部屋の脇に細い通路があり、その先にトイレがあります。穴の向かい側には石でできた立派な玉座が置かれていて、皇帝はこれに座って用を足しのでしょうか?いずれにしてもマチュピチュに水洗トイレや下水があったというのは驚きです。

天体観測の石

皇帝の部屋の入り口を入ってすぐのところに広場があります。広場には石臼のような石が置かれています。この石は天体観測のために使用されたと言われています。

皇帝の部屋はマチュピチュを建設したパチャクティ皇帝が滞在していた場所と言われています。マチュピチュの標高はおよそ2400メートルで、インカ帝国の首都があったクスコより1000メートル低い場所にあります。標高差1000メートルでは、計算上気温差が5~6度あり、皇帝はクスコの寒さを逃れるためマチュピチュにやってきたのではないか、という説も唱えられているのです。マチュピチュが避寒地だったとすればこの部屋は王の別荘ということになります。

三角形の石組みの梁

現在はどの部屋にも屋根はありませんが、三角形の石組みの梁がとっても印象的です。屋根を支えた梁にはいくつもの突起物や穴が造られています。

では、次にマチュピチュ遺跡の建物群を造った石切り場へ行ってみましょう。

石切り場

石切り場

マチュピチュの石切場。背後に見張り小屋が見える。通常の見学ルートでは見張り小屋から尾根伝いにこの石切場へ下ってくる

作業小屋

通常のマチュピチュ見学では見張り小屋から市街地入り口の門をくぐり、尾根沿いに下っていくルートを通ります。そのとき、右手に石造建築が建ち並ぶ一画があります。この建物群が作業小屋です。マチュピチュの建造物の壁に取り付けられている出っ張った石がこの建物の中でたくさん発見されました。このことから石などの建材を加工する技術者がここで作業していたと考えられています。

細工された石

マチュピチュを見学しながら細部に注意して目をやると、いたるところに細工された石を見つけることができます。上の写真のように加工された石や、建材のほとんどが石切場近くの作業小屋で造られていたのでしょう。

作業小屋の石の屋根

作業小屋の屋根とその背後のアンデネスの上に見張り小屋が見える写真です。

作業小屋はマチュピチュ遺跡の中で位置的には、太陽の神殿や皇帝の部屋の真上にあり、少し不思議な感じがしますが、その疑問はすぐに解けました。作業小屋群のすぐとなりに石切り場があるのです。建材を加工する作業小屋が石切り場から遠く離れた場所にあったら運搬に負担がかかり効率的ではありません。そのため石切り場のすぐ隣に作業小屋を作ったと考えられます。

帝国の権威や象徴に目をつぶってまで、民の仕事の効率を重視し神聖な場所のすぐ真上に作業小屋を作ったとしたら、インカ帝国の統治手法はなんとも寛大だったんですね~~。

石切り場

石切り場

私たちは通常の見学ルートと異なり、皇帝の部屋(王の別荘)から階段を登って石切り場に出ました。大きな岩がごろごろ転がってる広い尾根の上のような場所です。マチュピチュの建造物のほとんどがここで切り出した石を使って造られています。

ところで鉄器をもたなかったインカの人々はどうやってこのようや巨石を切り出し精巧に加工したのでしょうか?ひとつは、岩にある割れ目を活用する方法です。割れ目や穴に木の棒を差し込み、その木に水を徐々に含ませていきます。そして木が少しずつ膨張する力を利用して、使い勝手のいい大きさや形に加工するのです。岩の割れ目や穴の大きさ、深さなどによって差し込む木の形や角度を変え、好きな形に石を加工する技術を確立していたと考えられています。また花崗岩より硬い黒曜石を巧みに使って加工することもあったようです。

マチュピチュを見学する子供達

インカ文明は、地球上で他の文明との交流のない隔絶された孤独な文明でした。私たちの住む日本もユーラシア大陸の東端の島国で、長い歴史の中で他国の交流を拒んできた時代があります。それでも細々ながらアジアやイスラム諸国、遠くはヨーロッパの国々と人の交流があり、文明や技術が行き交っていました。1000年の歴史を誇る京都の祇園祭りでも、山矛にはヨーロッパ諸国の装飾品の品々が多く使われています。

ところがインカ帝国の最北端は赤道付近の熱帯雨林に覆われ、その北にあったアステカ文明との交流さえ、ほとんどありませんでした。鉄器を知らないインカ文明が劣っていたと考えるのは間違いで、石器を使う技術や文明を高度に発展させた全く別の文明国家だったと考えるのが妥当ではないでしょうか。車輪がなかったのも、険しい山岳地帯ではそれを活用する場面がなかったからです。

何より鉄器も車輪も持たなかった彼等が、マチュピチュという壮大な都市遺跡を築き上げたのはまぎれもない事実なのですから。

マチュピチュで見つけたトカゲ

マチュピチュで見つけたトカゲ。

石積みされた城壁と同じような色をしています。

マチュピチュに自生する植物

マチュピチュは世界文化遺産のみならず自然遺産にも登録されている複合遺産です。

珍しい生き物や鳥、植物が生息しており、保護の対象となっています。

石切り場から北側の谷を見た景色

石切り場から北側を見た様子。急角度で谷へ落ち込み、その向こう側に急斜面の山がそびえています。

石切場を見学する子ども達

巨大な花崗岩の岩が転がっている石切り場。

便利な場所にあったとはいえ、車輪もクレーン車もなかったインカの人々がこんなに大きな岩を運ぶのはどれだけ大変だったことでしょうか。

マチュピチュのメイン広場

では前方にメイン広場を見ながら、主神殿や日時計のあるマチュピチュで最も神聖な場所へ行ってみましょう。

3つの窓の神殿、主神殿、神官の館に囲まれた聖なる広場

神聖なる広場

神聖なる広場

石切り場から続く尾根の上に、聖なる広場があります。ここには3つの窓の神殿、主神殿、神官の館という石積みの壁を持つ3つの建物があり、それらに囲まれた場所が聖なる広場と呼ばれています。広場の東側には3つの窓の神殿があります。この神殿は東南北の3方を石積みの壁で囲まれていますが、西側には壁がなく、聖なる広場に面して開かれた構造になっています。窓からはマチュピチュで一番広いメイン広場を見下ろすことができます。

3つの窓の神殿

3つの窓の神殿と帝国発祥伝説

3つの窓の神殿の東側の壁には、その名前の由来となった3つの窓が開いており、夏至の日の日の出の位置を正確に示しています。実際には窓は5つ並んでいますが、両端の2つは開いていません。

インカ発祥に関する伝説に、タンプ・トッコという3つの穴が登場します。伝説によるとこの穴から8人の兄弟姉妹が沸き出し、そのうちのひとりがインカ帝国初代皇帝マンコ・カパックとなり、クスコに帝国の基礎を築いたと伝えられています。神殿のこの3つの窓は、伝説に登場する3つの穴「タンプ・トッコ」を表しているのではないかと推測されています。

3つの窓の神殿を説明するガイドさん

ハイラム・ビンガム発見当時の3つの窓の神殿の写真を見せてくれるガイドさん。

謎の石組み

3つの窓の神殿の南側の壁。突起のついた石組みがあります。何に利用したのでしょうか?

チャカナ岩

チャカナ岩

3つの窓がある壁の向かいには、長方形の柱が立っています。この柱のとなりに、左右に3段の階段を持つ岩があります。この岩は冬至の日に、太陽の光を浴びた岩から伸びる影が「チャカナ」と呼ばれるインカの世界観を表すシンボルの形を作りだします。

柱の周辺には他にも円盤状の岩や石柱が倒れたようなものが転がっていますが、何なのかよくわからないそうです。

主神殿

主神殿

3つの窓の神殿の北側にあるのが主神殿です。天地創造の神、ビラコチャを祭った建物で、巨石を見事に組み合わせて造られています。3方を壁に囲まれていて神聖な広場に面した部分には壁がありません。

壁には小さな台形の形をした17個のくぼみが並んでいますが、これは飾り棚として作られたもので、宝飾品やミイラなどが飾られていたと考えられています。また正面の壁の中央には、祭事や儀式に使われていたと思われる長さ4.5メートルの大きな礎石があります。正面の壁の右側は地震による地盤沈下のため少し崩れかかっています。

南十字星の石

南十字星の石

主神殿の近くの地面には菱形の石があります。この石はインカにとって重要だった南十字星の形をしていて、それぞれの角が東西南北の方角を正確に示しています。

そして一番長い角が真南を示しています。

神官の館

神官の館

聖なる広場の中央には、台座のような大きな岩が鎮座しています。儀式の時にはこの岩の上に生け贄を置き、神聖な祈りを太陽の神々に捧げていたのでしょうか?

上の写真で、大きな岩の向うに写っているのが神官の館です。3つの窓の神殿の南に位置し、主神殿とは聖なる広場をはさんで向かい側にあります。儀式や祭事をおこなう神官が待機したり、ここで祈りを捧げた場所ではないかと推測されています。

マチュピチュ頂上広場にある太陽をつなぎとめる石・インティワタナ

インティワタナは日時計だった

南の急斜面

3つの窓の神殿や神官の館がある聖なる広場から、主神殿の南の壁の外側を奥へ進み、階段を登っていきます。

この階段を、建物3階分くらいの高さを登ると、マチュピチュの最高点に到達します。階段は人がやっとすれ違えるくらいの幅しかなく、こう配も急です。しかも、左手(南側)は断崖絶壁になっていて、足がすくむような高さです。

南の急斜面を見てたじろぐ子ども達

マチュピチュの南側にある足もすくむほどの急斜面。はるか眼下を流れるウルバンバ川に吸い込まれるようだ

ひゃぁぁ~~、すごい急斜面!

下を向くとそのままはるか下界まで吸い込まれてしまいそうです。通路や階段の幅が狭いので気を付けて歩きましょう。うっかり石につまずいてそのまま空中へダイブ!なんて事のないようにして下さい(笑)

マチュピチュの最上部付近から南斜面を覗き込んだ写真

階段の途中から下をのぞくとこんな感じです。めまいを起こしそうな絶壁の下にウルバンバ川が流れています。それにしてもこんな急斜面にもアンデネス(段々畑)を造ったインカの人々の執念はすごいですね。畑を造った人も怖かったでしょうが、この畑で収穫などの作業をする人もたまらなかったでしょう。高所恐怖症の人には無理ですね。

こんな場所にも畑を造らなければならいほど食料事情が厳しかったのではなく、厳しい場所=神聖な場所、で育ったトウモロコシから造られるチチャ酒ほど価値が高かった、というインカの統治システムを証明する物的証拠のひとつだと思います。

ちなみにマチュピチュを発見したハイラム・ビンガムは1911年にこの南側の斜面を登ってここにたどり着いたと言われています。こんな急斜面、よく登れたなーと思います。しかも上に何かあるってわかってない状況で。さすがインディージョーンズのモデル!

高山植物

登ってきた階段を振り返ると、きれいな植物が岩の上で葉っぱを広げていました。マチュピチュは文化遺産のみならず、自然遺産にも登録されているので、ここに生息する動植物も珍しい貴重な種が多いそうです。

下のほうには主神殿の壁の内側が見えています。

マチュピチュの生き物

こんな住民もいます(笑)。

このあたりだけに住む固有種のトカゲでしょうか?

野生のラン

野生のランもあっちこっちで咲いています。

マチュピチュの頂上部

はーはーと息をきらしながら急な階段を登って行くと、最後につづら折りになって、その先に頂上がありました。

頂上からの眺め

うわぁ~~、これが頂上(マチュピチュ最高点)からの眺め!これぞマチュピチュという絶景ですね。

谷底から吹き上げて来る風がとても気持いいです。目の前にはメイン広場とワイナピチュがよく見えます。

最上部にある石組みの壁

マチュピチュ最高点は地面がきちんと整地された広場になっていて、南側と西側に石積みの壁があります。

インティワタナ

インティワタナ

そして頂上広場の真ん中に、1.8mの高さの突起状の柱がある大きな岩が置いてあります。これはインティワタナと呼ばれる巨石で、「太陽をつなぎとめる石」という意味だそうです。柱の各角は東西南北を指していて、稜を結ぶ対角線を冬至に太陽が通過するそうです。

このことからインティワタナは日時計ではないか?と考えられていますが、正確な実証はありません。そもそも1日のうちで影がどこを指したら何時、というような時計を思わせる機能はありません。それでも、マチュピチュの最高点にあるインティワタナは、何か特別な象徴だったことは間違いないでしょう。

角柱に手をかざしてパワーを感じるのが観光客にとっておきまりの儀式になってるようです。我が家も全員やりましたww。

インカ帝国の農業試験場

農業試験場

マチュピチュ遺跡の一番の奥(北西)のエリアには、「農業試験場」「ワイラナ」「聖なる岩」があります。農業試験場は、メイン広場から続く広い空間で、メイン広場より数段、低い場所に造られています。マチュピチュ遺跡の入り口にある段々畑(アンデネス)のように急斜面に造られた農地ではなく、比較的平な場所に、広めの3~4段の畑があります。ここでは、高地のマチュピチュでも植物や農作物の栽培を可能にするための研究がおこなわれていたと推測されています。

多種多様の食物や植物を研究し栽培していたようで、調査ではたくさんの植物が発掘されています。

農業試験場とワイナピチュ

農業試験場を近くで見るとこんな感じです。段々畑ではありますが、急斜面にびっしり造られたアンデネスとはかなり雰囲気が違います。それにしても西洋文明とも東洋文明ともまったく交流がなかったインカ帝国に、独自に農作物の研究をおこなっていた施設があったというのは驚きです。

研究を積み重ね、試行錯誤し、常によりよいものを造ろうとする向上心は、文明や人種に関係なく、わたしたち人類にもともと備わっている才能なんですね。

農業試験場とメイン広場

ちょっと高いところから見下ろした写真が上です。メイン広場を挟んで南北に2つの高台が平行して走っています。南側の高台には主神殿やインティワタナがあり、北側の高台には技術者の居住区や3つの入り口の家などがあります。こうして見ると、農業試験場はメイン広場から続く渓谷のような空間の一番奥にあることがわかります。

インティワタナとマチュピチュ山

上の写真の石積みの一番高いところにインティワタナがあります。

ここからメイン広場側を見下ろして撮影したのが、もう1枚上の写真です。

インティワタナから農業試験場を見下ろした写真

もう一枚同じくインティワタナから北側を見下ろした写真をお見せします。さっきと少し角度が違いますが、ここでも農業試験場がよく写っています。ちなみに農業試験場の畑の一番上にある建物は「ワイラナ」と呼ばれています。マチュピチュで最も奥にある建物です。

そしてこのワイラナのとなりに「聖なる岩」があります。聖なる岩は高さ3m、幅7mの一枚岩で、猫の形に見える、山を崇めていたインカの人々が祈りを捧げた、正面に仰ぐヤナンティン山を模した、などいろいろな説がありますが確かなことはわかっていません。

この岩には「聖なる力」が宿っているとされこの岩に手や頭をかざす観光客はあと断ちません。私たちはその聖なる力のおかげでうっかり写真を撮るのを忘れてしまいました(笑)

農業試験場の説明をするガイド

さて最後にインティワタナから南側を見下ろした写真をいくつかお見せしましょう。この前の項でも数枚掲載しましたが、あまりに目も眩む急斜面だったので写真をたくさん撮り過ぎてしまいました。

順路的にも、ここからいったん南側に下って、高台を回り込むように農業試験場のほうへ向かいます。

南側斜面とウルバンバ川

こんなに急斜面の細い通路を通る。怖いよ〜

マチュピチュ最高部のインティワタナから南側の急斜面を下って農業試験場へ向かいます。狭い通路を下るとき遥か下の谷底へ吸い込まれてしまいそうな気になります。子連れの旅行者はくれぐれも足もとを滑らせて転げ落ちないように注意して下さい。

急斜面に作られたアンデネス

こんなところによく畑を造ったな~~と感心します。マチュピチュは神殿や王宮などの建物も見事ですが、この南側の急斜面の段々畑も言葉を失うくらいの存在感があります。

南斜面のアンデネス

南側の段々畑の一番奥です。まさに猫の額ほどの広さしかない場所にも畑があるのがわかりますね。土砂崩れを防ぐための目的もあったそうです。このあと180度後ろに進んで農業試験場の方へ向かいます。

次は農業試験場とそのさらに奥にあるワイナピチュ入山ゲートへ行きます。そこからいよいよワイナピチュ子連れ登頂が始まります。

ワイナピチュから下山してきた我が家は、コンドル神殿などを見学しながらサンクチュアリロッジに向かいます。時系列的には、ワイナピチュ下山後の記事に収めるべきですが、読者には「マチュピチュ観光」でまとめたほうがわかりやすいと考え、「コンドル神殿」「サンクチュアリロッジでランチ」「マチュピチュの夕日撮影ポイント」の3記事はこの編に載せています。

コンドル神殿

コンドル神殿

コンドル神殿を通って

ワイナピチュから下山してきたらリュウの体調がいよいよ本格的に悪化していました。額に手を当てると、ありゃぁ~こりゃ相当熱が出てるぞ!ワイナピチュに登り始めたときからなんとなく体調が悪いと言ってたけど、無事下山して緊張感がほどけたからか、急に熱が上がったようです。

お腹も痛くなってきて少し吐き気もするというので、とりあえず遺跡の入り口にあるマチュピチュサンクチュアリーロッジまで戻って休憩することにしました。今日のツアーにはサンクチュアリーロッジでの昼食バイキングがついています。

ワイナピチュの入山ゲートから、サンクチュアリーロッジまでのルートは、来る時に見学しなかったマチュピチュ遺跡の北側の建物群を通ります。技術者の居住区や3つの入り口の家、コンドル神殿などがあるエリアです。

ちなみに南側の高台には、太陽神殿や神官の館、女王の宮殿、主神殿、3つの窓の神殿、インティワタナなど、神聖な建物が並んでいます。来るときはそれらを見学しながら遺跡の一番奥にある入山ゲートを目指しました。

聖なる石

聖なる石

入山ゲートからワイナラまで戻ります。正面に聖なる石の裏側が見えています。背後にそびえるヤナンティン山と重なる形がガイドブックなどに載っている有名な石ですが、「裏側」を見る機会はまずありません。ですからこれは偶然撮影したものですが、非常に貴重な写真と言えます。

それからワイナラの後ろに見える三角形の山はマチュピチュ山です。

マチュピチュ北側エリア子連れの見所

居住エリア

北側の居住区エリアです。遺跡の保存状態が良いので、まるでインカ時代にタイムスリプしたような錯覚を覚えます。

コンドル神殿

ここで北側エリアにある主な遺跡をみていきましょう。

3つの入り口の家

メイン広場に面して3つの入り口があることからこう名付けられました。同じ造りの建物が3つ並んでいます。ここは、織物や歴史、インカの言葉であるケチュア語などを教える学校のような施設だったと推測されてます。

ハイラム・ビンガムはここでインカの重要な情報伝達手段であるキープを発見しました。文字を持たなかったインカ文明では、縄の結び方、結び目の数、太さや色などで様々な情報を伝えていました。それがキープです。

キープをマスターした人は「キープカマヨック」と呼ばれインカのエリートだたと言われています。

コンドル神殿

コンドル石は、コンドルの顔を模した石でくちばしが東の方角を向いています。地面に置いてあるのは、儀式のときここで生け贄を捧げたからではないかと考えられています。そのコンドル石の背後に、自然の岩と人口の石組みを巧みに利用しコンドルが翼を広げたような形をした、コンドル神殿があります。

コンドル神殿は地上の世界と太陽の世界を結ぶ神聖な場所でした。内部は空洞になっていますが、罪人を入れた牢獄だったと考えられています。インカの世界では、アマスア(盗まない)、アマケア(怠けない)、アマユア(騙さない)の決まりを破った者には重い刑が下されました。罪人はここで暗い牢獄に入れられ、拷問を受けたそうです。拷問には毒蜘蛛や毒蛇、猛獣が使われていました。恐ろしいです。

コンドル神殿に続く石壁の通り

天体観測の石

直径60cmほどの丸い大皿のような石が2つ地面に置いてあrます。石には水がはってあり、昼間は太陽を、夜は月や天の川、天体を映し出し、それを観測していました。

インティマチャイ

太陽が目覚める場所という意味。冬至には太陽が洞窟内をまっすぐ照らすそうです。他にもこのエリアには2階建ての家や技術者の居住区などの見所が点在しています。

振り向くとさっきまで登っていたワイナピチュが見えます。

貯蔵庫まで戻って来た

アンデネス

アンデネスと市街地の境界まで戻ってきました。

貯蔵庫

貯蔵庫です。ここまで戻れば遺跡の入り口はもうあとちょっとです。

貯蔵庫の前でむかえてくれるリャマ。頭に赤い花をつけている。

来たときはいなかったリャマが向かえてくれました。

アンデネスの石垣をはさんで向かい合うリャマとアルパカ。

貯蔵庫群まで戻ってもう一度マチュピチュを振り返ります。

リャマがいると絵になりますね。いつまでもゆっくり眺めていたい景色ですが、リュウの体調が心配だしお腹も減ったので急いでサンクチュアリーロッジへ向かいましょう。

ベルモンドサンクチュアリロッジマチュピチュでビュッフェランチ

ベルモンドサンクチュアリロッジマチュピチュの正面写真。階段に続く玄関とレストラン、2階の客室が写っている。さらにホテルの背後にはマチュピチュ山の見える。

サンクチュアリロッジ

ベルモンドサンクチュアリロッジは、マチュピチュ遺跡に隣接してる唯一のホテルです。ホテルから遺跡の入り口まで徒歩0分。このアクセスの良さがこのホテルの一番の魅力です。サンクチュアリロッジ以外のホテルはすべてハイラムビンガムロードを下ったマチュピチュ村にあります。

マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡に到着するまでどれくらい時間がかかるかというと、バスの乗車時間が約30分、それにマチュピチュ村で滞在しているホテルからバス乗り場までの移動時間や、バスの出発までの待ち時間を足すと、40分から1時間くらい必要になります。それがサンクチュアリロッジに滞在すると0分になるわけですから、時間が限られている観光客にとってこの差は大きなアドバンテージだと言えます。

観光客が下の村から上がってくる前の朝の時間や、逆にみんなが帰ったあとの、人がいないマチュピチュ遺跡を独占できたり、ワイナピチュやマチュピチュ山への登山を計画している人にとって早朝からバスに並ばなくてすむ、などのメリットがあります。

またマチュピチュのトイレは有料ですが、このホテルは当然ですが無料で使用できます。これもホテル宿泊者の大きなメリットと言えます。(我が家のように食事だけ利用するメースでもトイレは無料です)

ランチビュッフェ

ランチビュッフェの様子

ベルモンドサンクチュアリーロッジは唯一、遺跡に隣接しているだけでなく、マヂュピチュで一番高級なホテルでもあります。

客室数は31室で、そのうちのいくつかは室内からマチュピチュ遺跡を眺めることができます。またテーブルとイスが用意されたパティオ、テラス付きの部屋や、テラスに加えてリビングルームとベッドルームが別々になったスィートルームも2部屋用意されています。4人家族の子連れ旅行者の場合、普通の部屋を2部屋手配するより、スィートルーム1部屋に4人で泊まるほうが安くあがるためおすすめです。

ただし世界的に人気の高いマチュピチュにあって、部屋数がわずか31ということからおわかりのように、このホテルを予約することは大変難しくなっています。よほど早くから計画して手配しなければ部屋を確保することはできません。まして遺跡ビューやスィートルームは大変人気があり競争も熾烈です。

ビュッフェの料理

ちなみにわたしは1年前に手配して、12月25日にスィートルームを予約できたことがありました。しかし残念ながらそのときの旅行は流れてしまったので泣く泣く予約を手放しました。今回の旅行は手配を開始したのがそれほど早い時期ではなかったため、すでにサンクチュアリーロッジは満室でした。

サンクチュアリーロッジマチュピチュのレストラン

ところが、思いがけないことに、今回のマチュピチュ遺跡のガイド付きツアーには、このサンクチュアリロッジでのランチが付いていたのです。宿泊することはできませんでしたが、ホテルのレストランで食事をして、雰囲気だけでも体験できるのは、とってもラッキーでした。

スープコーナー

ビュッフェランチ

わたしたちはワイナピチュに登ったのですでにガイドさんとは別れています。山から降りて来て、自分たちでホテルに向かいレストランに入りました。時刻は午後3時前くらいだったと思いますがお昼のピークタイムはとうに過ぎているのでレストランは閑散としてました。

ワイナピチュといいこのレストランといい、マチュピチュは早朝から観光する人が多いため、逆に午後からゆっくり行動を始めたほうが、混雑とは無縁で楽しめるのかもしれません。

白いご飯もある

ランチは好きなものを好きなだけ皿に盛っていただける食べ放題のビュッフェスタイル。日本では「バイキング」と言いますね。

ロッジ内の農園で栽培された新鮮な素材ををふんだんに使ったペルー料理、アンデス料理、インターナショナル料理が目移りしてしまいそうなほどたくさん並んでいます。

ビュッフェランチの様子

前菜、サラダ、スープからメイン料理、そしてデザートまで、もうたべきれないというくらいたくさんの種類の料理がいただけます。

茹で卵をまるごとピンク色のソースであえたサラダ料理

食べ物だけでなく、飲み物類も充実しています。

遺跡観光とワイナピチュ登山でたくさん歩いたので喉がからからになりましたが、ミネラルウォーターはもちろん、100%フレッシュジュースや、コカ茶、紅茶、コーヒーなど飲み放題だったのでとても助かりました。

レストランでは窓側のテラスに面したテーブルを利用した。

サンクチュアリーロッジのデメリット

最後にサンクチュアリーロッジのデメリットをあえてあげるとすれば、マチュピチュ村で買い物や食事を楽しむことが難しいことだと思います。マチュピチュ村は世界中からマチュピチュを訪れる観光客のためのベースタウンになっています。そのため、たくさんのレストランやショップ、温泉、観光施設が軒を連ねており、ぶらぶら散策するだけでも楽しめる場所です。

サンンクチュアリロッジの周辺にはレストランやショップなどはありません。

マチュピチュ定番の写真撮影ポイント〜見張り小屋からの夕景

マチュピチュ定番の撮影ポイント、見張り小屋から遺跡とワイナピチュを撮影した写真。

マチュピチュ定番の撮影ポイント「見張り小屋」付近から撮った写真

楽しさのピークは悪いことの始まり

サンクチュアリロッジのレストランでは、窓側の眺めのいい席を用意してもらいましたが、景色を眺める余裕もないままひたすらがつがつと料理を口に運びました。考えてみれば今朝5時半に朝食を食べて以来、水以外何も喉を通していません。マチュピチュに向かうため早朝に活動を始め、ペルー鉄道に乗り、ハイラムビンガムロードをバスで登り、マチュピチュ遺跡を観光し、さらにワイナピチュ登山まで体験し、ずーっとハイテンションの状態が続いて来たのです。

気がつけば午後3時。そりゃーお腹は減るし喉はからからのはずですね。飢えて気絶寸前の原始人のように夢中になって食べ物を胃袋に押し込んだら、ようやく落ち着いてきました。ふーっとイスにもたれ深呼吸します。

「料理美味しかったね」

「うそつけ、掃除機のように食事を吸い込んでただけじゃん」

「いや、それでもちゃんと味わってたよ」

あははは。食後のコーヒーとデザートをいただきながら会話を楽しんでいましたが、ふと気づくとリュウの顔色がよくありません。そう言えばレストランに入ってから水を飲んだだけで、食事は何も口していないのです。

「せっかく高いレストランにきたのにもったいないだろ!」

いや、そっち、ここはままずリュウの体調を心配する場面でしょ、親として。そういえばリュはワイナピチュからずっと体調不良を訴えていました。これだけ美味しい料理があるのに食いしん坊のリュウが何も食べていないというのはただごとではないかもしれません。これはもしかすると相当な重症ではないか???その悪い予感は的中し、このあとリュウの容態はさらに急速に悪化します。

悪いことに私の腎臓結石も再発し、このあと我が家の子連れ旅行史上最悪の事態に陥るのですが、このときはまだ誰もそんなことになるなんて知るよしもありませんでした。

見張り小屋とワイナピチュ

「じゃあ、今日はもう観光はやめてホテルに行こうか」

この段階では、早めに観光を切り上げホテルでゆっくり休めば、明日また元気に復活できると思っていました。

「帰る前にちょっとだけ夕焼けの写真を撮って来る」

ママとリュウがレストランで休んでいる間、私はカイを連れてまだ行っていない太陽門のほうへ行ってみることにしたのです。

クスコとマチュピチュを結ぶインカ道

クスコとマチュピチュを結ぶインカ道

インカ道

サンクチュアリロッジから遺跡の入り口に戻りそこから真上に登っていきます。見張り小屋まで登ったら、マチュピチュ遺跡の反対側へまっすぐ伸びる石畳の道が見えてきます。これがインカ道です。この道はインカ帝国の首都クスコとマチュピチュをつなぐ重要な幹線道路でした。

インカ帝国は、クスコ~マチュピチュ間だけでなく、1万平方キロメートルに及ぶ帝国の広大な領土の隅々まで、まるで血管のようにインカ道を張り巡らせていました。そしてチャスキと呼ばれる飛脚がリレー方式でインカ道を駆け巡り、情報伝達の役割を担っていました。

インカ道は、インカ帝国の繁栄を支えた重要なインフラだったのです。

太陽の門へ続くインカ道

太陽の門は遠かった

見張り小屋からさらにインカ道を奥のほうへ進みます。この先に太陽の門と、インティプンクの遺跡があります。クスコからマチュピチュを目指してインカ道を通ってきたら、最初にインティプンクと太陽の門を目にするわけす。

見張り小屋からインティプンクまでの所要時間はおよそ1時間です。ちょっと写真を撮ってくると言ってママとリュウをホテルに残しているので、さすがに往復2時間かけて太陽の門まで行くのは無理です。残念ですがこのへんであきらめて引き返すことにしました。

マチュピチュの夕景

マチュピチュ定番の撮影ポイント

見張り小屋まで戻ってマチュピチュの眺めを目に焼き付けます。見張り小屋はマチュピチュ市街地の東側にある段々畑・アンデネスの一番上に建っているレンガ造りの小屋です。ここからマチュピチュの全景とワイナピチュを見渡すことができます。

よく雑誌やテレビなどで紹介される定番の撮影スポット、インスタ映えするフォトジェニックポイントです。

見張り小屋からマチュピチュを眺める長男の写真

マチュピチュの定番写真撮影ポイント・見張り小屋から遺跡とさっき登ってきたワイナピチュを眺める長男

午前中は、この定番の撮影ポイントからいかにもマチュピチュらしい写真を撮ろうと大勢の観光客が並んでいますが、午後の遅い時間にはほとんど人がいなくこの景色を独占できます。

もちろん写真も撮り放題です!

夕映えのマチュピチュ

上の写真は見張り小屋から少し南側へ登って撮影したものです。この記事で紹介している上の連続3枚の写真は微妙に撮影場所を移動していますが、違いがお分かりでしょうか?もしマチュピチュへ行かれることがあったら、写真撮影の参考にして下さい。

旅行記の記事ではこの次はワイナピチュ登頂編になっていますが、前におことわりしたように、コンドル神殿、サンクチュアリロッジ、夕日撮影ポイントの3つの記事は、時系列的にはワイナピチュ登頂後の出来事です。