アフ・アカハンガ遺跡〜イースター島の謎

2019年2月1日

アフ・アカハンガ遺跡

アフ・アカハンガ

アフ・ハンガテエから南海岸を4kmほど西へすすむと、

アフ・アカハンガ遺跡に到着する。

イースター島は、ちょうど二等辺三角形のような形をしており、南海岸は三角形の底辺にあたる部分だ。

そしてアフ・アカハンガはその底辺のほぼ中央の入り江に位置している。

アフ・アカハンガを歩くと、ここにあるモアイはすべて、

顔を下にして息を止められたかのように

打ち倒されているを見る事ができる。

16~18世紀に起きたモアイを倒す為の戦争

「フリ・モアイ」の凄まじさが伝わってくるようだ。

戦争の勝者は、敗者のモアイを破壊すれば

敵の超自然の力「マナ」

永久に破壊できると信じていたのだろう。

このあたりは、アフを擁する集落が数百メートルおきに点在していて、

もしすべてのモアイがたっていたら、

どんな壮観な光景だったろう、

と想像しそのイメージに胸がときめく。

ボートハウス

バスの駐車場から、モアイが倒れているアフまでのあいだに、

「ボートハウス」と呼ばれる

ボート型の住居跡がいくつか見られる。

住居がボートの型だったのは、

最初に島にやってきたホトゥ・マトゥア王の一行が、

家がなかったので

ボートを引っくり返して使ったことが始まりといわれている。

ところで今回参加しているツアーは、英語、スペイン語、日本語の混載ツアー。

全員が同じバスで移動し、遺跡での説明はそれぞれの言葉でおこなわれるというもの。

日本語はKさんが担当し、英語とスペイン語は、イースター島出身のガイドさんが1人2役で担当する。

日本語ツアーは料金が高かったので、われわれは英語ツアーに参加した。

アフアカハンガのモアイ 折れたモアイの首 うつ伏せに倒されたモアイ

イースター島の謎

鉄器 を持たなかったイースター島の住人が、

およそ1000体にもおよぶモアイを作ったことは、

この島の大きな謎のひとつだ。

また重さ数10トンもあるモアイを、

石切り場から遠く離れた場所まで

どうやって運んだのか?

いろいろな解説がなされているがいまだに決定打はない。

さらにアフの上にどうやってモアイを立たせたか?

そのモアイの頭にどうやってプカオをのせたのか?

説明に困ることばかりだ。

多くの謎が眠るイースター島にあって、

わたしがもっとも不思議に感じるのは、

イースター島の人々

モアイ製作にかけた情熱の強さについてだ。

古代エジプトのピラミッドが作られ続けた期間は200年間。

それに対して、イースター島の人々はモアイを、

なんと800年間にわたり作り続け

あるいは運び続けているのだ。

さらに驚くのは、倒されたモアイのすぐ近くで、

その後も200年間ちかく生活していること。

アフ・アカハンガを訪れると、

倒されたモアイや、

そのときの衝撃で首がおれたモアイ、

転がったままのプカオ、

などを見ることができる。

まるで、たった今モアイが倒された、というような状態で。

あんなに情熱をかたむけて作って運んだモアイなのに、

何故すぐ起こさなかったのだろう?

せめて、転がってる首はなんとかしよーよ。

まるでそこかしこにモアイが倒れていることが、

視界に入っていなかったとしか思えないような扱いの急変ぶりだ。

倒された途端、急に心がわりしたようなモアイへの仕打ちに

「100年の恋」ならぬ「800年の恋」からあっけなくさめた、

恋心のからくりをどうしてもし知りたいと思った。