さよならイランジャ
人として純粋に
物事にはいつも表と裏がある。光がまぶしければその分、影は濃くなるものだ。今回の旅行でスケジュールが変更になった時、影の部分しか見ないで行動してたら、その後の旅程を楽しむことはできなかっただろう。イランジャでカイが病気になったことにも、きっと何か「表」の意味があるはず。それが今は見えないだけなのだ。
ヤシの葉が濃い影を落とす、光の島イランジャ。砂の上のバーのイスに腰掛けて、ぼ~~と海を眺めていると、準備ができたとスタッフが知らせにくる。これから送迎ボートに乗ってノシベ島へ移動、そこで車に乗り換えノシベ空港へ行き、さらに飛行機でアンタナナリブへ移動する、というのが今日の予定だ。スタッフの1人がカイを抱きかかえてボートに乗せてくれる。カイの体調が悪い事は、リゾートのスタッフみんなが知っていて、心配してくれているのだ。
「ありがとう」
ホテルのスタッフだからとか、仕事だからとかではなく、人として純粋にカイの容態を心配してくれている。その優しさに涙をこらえながら、お礼を言ってボートに乗り込む。
あのボートで空港のあるノシベ島へ向かいます / スタッフに抱きかかえられてボートに乗るカイ
なぜフランダースの犬はベルギーで知られてないのか?
あとからもう1組の家族が乗り込んできた。高校生くらいの男の子2人と、中学生くらいの女の子1人の5人家族だ。カイがぐったりイスに横になっているのを見て、お母さんが「どうしたの?大丈夫?」と聞いて来る。ええ、まあ日射病か食当たりで熱が出ているんだと思う、とママ。それがきっかけで会話が始まる。
「どちらから来たんですか?」
「ベルギーです」
「ええ~~、それは奇遇ですね!以前、東京の同じマンションに、ベルギー人の家族が住んでいて、とても仲良くしてもらってたんですよ」
3年前にはベルギーのその家族の家に遊びに行ったこと、ブリュッセルやブルージュを観光したことなど、それからベルギーって食事がものすごく美味しい、ビールが美味しい、フレンチフライにマヨネーズをかけて食べるんだよねーー、など怒濤の勢いで話が盛り上がる。
「ところでフランダースの犬っていうお話を知ってますか?」
「え、何の犬?」
「フランダースの犬」
「いえ、知りません。日本では有名なお話なんですか?」
「ええ、とても有名です。でもこの話しの舞台はベルギー(アントワープ)なんですよ。ベルギー人は誰もこのことを知らないですよね」
「フランダースの犬」の登場人物は、一部を除いて皆、ものすごく意地悪な人ばかり。お話の舞台がベルギーということは、ベルギー人はみな鬼みたいな非情な奴だらけということになる。
「そんな身寄りがなく困っている少年がいたら、誰もほっときませんよ。まして意地悪をするなんて」
「ははは、そりゃーそうですよね」
だからベルギーではこのお話はほとんど知られていないのだ。
遠ざかる楽園。思い出をいっぱいありがとう!
さよならイランジャ
旅の最後にこんな出会いがあるなて、これも何かの巡り合わせかもしれない。カイのことは心配だけど、こんな暖かい気持ちでリゾートとお別れできてよかった。クルーはボートが珊瑚礁に乗り上げないよう、リーフの中をゆっくり慎重に舵を切る。そしてリーフの外側に出たら一気にスピードをあげ、宝石のような海に浮かぶ白い楽園は、みるみる遠ざかってゆく。
わたしは心の中でもう一度つぶやいた。
「さよならイランジャ、そして本当にありがとう!」
わたしたちを乗せたボートは波しぶきをはじきながら、風を切り一直線に東を目指す。西のほうを振り返っても、もうイランジャの姿はどこにも見えなかった。