6人の子どもを連れて自宅を出て29時間・ナイロビジョモケニヤッタ国際空港に到着〜空港から市内へのアクセス
ジャンボ〜!
6歳(幼稚園年長)から11歳(小学6年生)まで6人の子どもを連れて、猛獣が闊歩するアフリカのサバンナでキャンプ旅行をしました。
さあ、いよいよアフリカに着きました。ナイロビ国際空港でケニアの入国手続きをして、送迎のガイドさんと出会います。
自宅を出て29時間
「当機はまもなく、ジョモ・ケニヤッタ空港に着陸します」
アナウンスのあと、われわれを乗せたエミレーツ航空719便は、片側を下げてぐんと旋回する。その時中央のシートに座っているわたしにも、一瞬、小さな窓の外にアフリカの大地が見えた。
ドバイを出発して5時間10分、ついについに、ああ~ついにナイロビ、ジョモ・ケニヤッタ国際空港に到着した。
時計を見ると時刻は午後2時半。
日本は今、12月26日の夜8時半ということになる。
思えば羽田空港を飛び立ったのは、クリスマスの夜の8時半だったから、ちょうど24時間かけてナイロビに着いたというわけだ。さらにアヒルママ、イルカママと6人のこどもたちは、25日の午後3時の羽田行きリムジンバスに乗ってるから、家を出た時間から逆算すると、なんと29時間もかかったことになる。
う~ん、おつかれさん、 本当に長旅だったね。
イミグレーションへ向う通路/飛行機とターミナルビルをつなぐ連絡ブリッジ/空港内の両替所
夏の軽井沢
東南アジアなんかでは、飛行機を降りるとすぐ、むっとする暑さを体験するのだが、ナイロビでは身構えていたにのかかわらず実にさわやかな空気。
「あれ?ぜんぜん蒸し暑くないね」
これにはみんな拍子抜け。話には聞いていたが、ナイロビは標高が高いので赤道直下にもかかわらず、快適な気候なのだ。
「夏の軽井沢を想定してください」
そういえばマックスサファリの森田さんに、出発前どんな服装が適当か尋ねた時言われたっけ。
まさかこれほどとは。百聞は一見にしかずとは、このことですね。
って
「夏の軽井沢」になんか行ったことねぇー!
バゲージクレーム
ナイロビ空港から市内へのアクセス
ナイロビの空の玄関口は、初代首相であり、初代大統領の名前を冠した、ジョモ・ケニヤッタ国際空港。
アフリカを代表する拠点空港だ。
建物は古いけど、想像していたよりきれいで大きい。
ジョモ・ケニヤッタ空港は、市内から17kmのところにあり、空港から市内までタクシーで約20分、バスで約30分。タンザニアのアルーシャまで行くバスもナイロビ空港から発着している。
*2020年現在、ナイロビ市内は渋滞が慢性化しており、空港から市内へは1時間〜3時間程度かかることが常態化しています。(渋滞がひどいのは日中の時間帯)
ナイロビのジョモケニヤッタ空港から市内へのアクセス手段、料金は下記です。
- ローカルバス:料金100円くらい 所要時間 1〜3時間(渋滞状況によって異なる)
- タクシー:料金 1500ー2500円くらい 所要時間 1〜3時間(渋滞状況によって異なる)
- 現地旅行会社の送迎:料金7000円くらい *ツアー代金に混みのケースもあります 所要時間 1〜3時間(渋滞状況によって異なる)
連絡ブリッジを渡りターミナルに入ると、通路の正面にクリスマスツリーが飾ってある。とりたてて大きくないし華やかでもないが、クリスマスの夜にバタバタと出国した我々には、なんだか忘れ物が届けられたようなほのぼぼとした気分だった。
ケニアは意外にもキリスト教徒が多い国。
欧米ではクリスマスが終わっても、しばらくツリーを飾っているが、
ケニアよ、おまえもか!
ってなに威張ってんだよ!
あたりはショップやカフェが並ぶゾーンで、ここには帰国時も出国手続きを済ませたあとやって来る。もし時間があればショップでおみやげの値段やクオリティーをチェックしておくといいだろう。
旅行中はトイレ休憩などで、おみやげ屋へ寄る機会が多いと思うが、空港より安ければそっちで買い、高ければ最後に空港に戻って来た時買える。
イミグレーションの様子。とってもフレンドリー
いよいよケニア入国
通路を歩いていくとイミグレーションがあった。
「賄賂を取られるかも」などの情報がネットに流れていたので、ちょっと心配だったが、とってもフレンドリーな検査官で、写真やビデオ撮影もOK、ジョークを飛ばしながらあっけないくらい簡単に終了した(1981年にモロッコへ行ったときは税関でワイロを要求されて怖かった)
入国審査が終わるとエレベーターを下ってバゲージクレームへ進む。
入国審査は思ったより早く終わったのだが、荷物がなかなか出てこない。
あっちこっち経由したから、もしかしたら荷物だけ
どこか別の国へ
行っちゃったかー?
40分くらい待ってやっと出てきた時には大人も子どもも大喜び。いや、別にそんな高いもん入ってないんだけどね。
ジャンボ!
荷物をカートに積んで、扉の外に出たらいよいよ本物のアフリカだ。
ああー、キンチョーするな、
みんな、ここから気をつけよーぜ、
ナイロビでは
到着ロビーにいきなり
ライオンとか
うろうろしてるらしいから、
ってそんなわけあるかー!!
ロビーには、名前が書かれたプラカードを持った人が大勢立っている。ほとんどが旅行会社の出迎えだ。えーとわたしの名前はどこだだろう、あ、あった、あった、あそこだ。ほとんど同時に、むこうもちらに気づいたようで、ちょっと恥かしそうに微笑みながら近づいて来る。
「ようこそ、ケニアへ」
流暢な日本語で迎えてくれたのは、ジャクソンさん。
「ジャンボー!」
「ジャンボ、バーナ」
さっきイミグレーションで教えてもらった、スワヒリ語のあいさつをさっそく連発するこどもたち。
や~盛り上がって来たね。
さあ、では荷物を車に積んで、ナクル湖へ向かいましょうか。
空港からナイロビ市内へ
ナイロビ空港から市内へは、舗装された片側2車線のウルフハイウェイが続いている。
「みなさんを迎えに来る時はあのへんにキリンがいたんですよ」
空港前の道路からハイウェイに出たあたりで、ジャクソンさんが道路の脇を指差しながら言った。
「え?キリン!どこどこ?」
それを聞いて、もう半分眠りかけていたこどもたちが騒ぎ出す。
「みんなを迎えに空港へ来る時にはいたんだって」
広さ117平方キロメートルのナイロビ国立公園は、ウルフハイウェイに一部隣接していて、道路わきのアカシヤの木の葉を食べにやって来るキリンの姿を、かなりの確率で見ることができるのだ。
アフリカに到着したばかりの観光客が、空港を出ていきなりキリンと遭遇したら、そりゃー驚くわな。
このあたりの心にくい演出は、さすがケニアだ。
ナイロビダウンタウン
われわれを乗せたサファリカーは、やがて近代的なビルが立ち並ぶナイロビ市内へ入っていった。整然と格子状に整備された道路。歩道には大きな街路樹が植えられ、良く見るとどの木にもたくさんの鳥が止まっている。あのプテラノドンみたいなやつは、アフリカハゲコウだ。ナイロビは何でも世界一、野鳥の多い首都らしい。まあ、ハトやカラスでいいんなら、トーキョーにだって野鳥はたくさんいますが。
それからもうひとつ、ナイロビは世界三大犯罪都市のひとつとも言われている。ナイロビで車を降りて歩くのは、猛獣のいるサバンナで車から降りて歩くのと同じくらい危険なのだ。
世界三大犯罪都市
- ヨハネスブルグ・南アフリカ共和国
- ラゴス・ナイジェリア
- ナイロビ・ケニア共和国
*ナイロビの治安ですが、外務省の海外安全情報によると2018年時点でナイロビにはレベル1(十分注意してください)とレベル2(不要不急の渡航はやめてください)の地域が存在します。*4段階評価で4は最悪
車はダウンタウンの一角で停止した。ジャクソンさんの勤める「TEKKO TOUR」のオフィスの前らしい。ジャクソンさんを降ろして、ここからはアヒルファミリーの車を、クレメンス、わたしたちの車をウィルソンが運転して行く。
みんなジャクソンさんにお別れするためにぞろぞろと車を降りてきた。ってだぁー!だから危険なんだって、車から降りちゃあ。それにまた明日、ナイロビに戻ってくるからジャクソンさんにも会えるからー。
TEKKO TOURS 公式サイト:http://tekkotours.com/japanese/index.htm
ナイロビについて
ケニアの首都ナイロビは南緯1.2度に位置する大都会。
赤道からわずか140kmしか離れていないのに、気候が過ごしやすいのは、標高が1700mと高いため。
年平均気温は17.5度、朝夕は冷え込み「熱帯アフリカ」のイメージとはほど遠い。その快適な高原都市ナイロビ、町の歴史は意外と新しい。
19世紀、イギリスがケニアを植民地化する過程で、ウガンダのカンパラとモンバサをつなぐ鉄道を建設した。そのときサバンナを流れるナイロビ川の沿岸に、工事用キャンプとして設営されたのがナイロビの始まりだ。*ナイロビの名前の由来はマサイ語で「冷たい水の場所」。
2006年のナイロビの人口は約220万人(2015年時点で390万人に増えている)、東アフリカ最大の都市であり、交通の要所であり、政治、経済の中心となっている。
12月の小雨期の前には、町中にジャカランダの花が咲き乱れ、町全体が紫の霞でおおわれたように見える。ナイロビが1年で最も美しいと言われている季節だ。
ケニアの言語
ケニアの国語はスワヒリ語、公用語はスワヒリ語と英語です。またナイロビを中心として話されている若者言葉であるシェンという言語も存在します。さらにバンツー諸語、ナイル諸語などの民族言語も残っており、60以上もの民族言語が存在していると言われています。