文明の十字路・パレルモ子連れ観光の見所
文明の十字路・パレルモ
いったいパレルモほどさまざまな民族、文明の支配を受けて来た都市があるだろうか?
紀元前8世紀、フェニキア人の町造りに始まり、以来カルタゴ、ローマ、ビザンチン帝国、サラセン王朝、ノルマン王朝、さらにドイツのホーウェンシュタウフェン家、フランスのアンジュー家、スペインのアラゴン家、北イタリアのサヴォイア家、オーストリアのハプスブルグ家、ナポリのブルボン家と目まぐるしく統治者が入れ替わり、現在のイタリア統治下に入ったのはつい140年前のこと。
特に9世紀から11世紀にかけてのサラセン王朝支配下で、パレルモは首都として大いに栄えた。街には300を越えるモスクが達並び、絢爛たるイスラム文化が花開いたのだ。
今もアラブ様式の建物が数多く残るパレルモは、ドイツの文豪ゲーテが「世界でもっとも美しいイスラムの街」と讃えている。そんな、文明の十字路パレルモの旧市街を歩く事は、歴史の迷宮をさまように似たある種の緊張感と恍惚感をもたらす。
ポリテアーマ劇場
カフェ・ブリストルで食事を終え、わたしたちはそのまま港を背にアメリ通りを西に向って進んだ。
やがて右手に大きな建物が見えてくる。
マッシモ劇場とならびパレルモが誇る大劇場、ポリテアーマ劇場だ。完成はこちらの方がマッシモ劇場より23年早い。実はこの劇場の2階には、現代アートの美術館が設けられており、趣向を凝らした展示会を楽しむことができる。
さてパレルモの地図を広げると、この劇場のあるカステルヌオーヴォ広場から北側は、道路が格子状に整然と並んでいるのがわかるだろう。
広場から北に伸びるリベルタ大通りを中心とするパレルモの新市街は、北イタリアの洗練された街並を彷佛させ、美しい並木道にしゃれたブティックやバールが軒を連ねている。
マッシモ劇場
わたしたちは新市街方面ではなく、カステルヌオーヴォ広場から左に曲がり、ルッジェーロ・セッティモ通りを旧市街のほうへ南下する。朝早いのでまだほとんどのお店が営業していない。歩道を歩く人もまばらだ。やがて前方に、ひときは存在感があり威光を放っている建物が見えてきた。ネオ・クラッシク様式のオペラの殿堂、そしてパレルモの権威と富の証、マッシモ劇場だ。
外周表面面積では、パリのオペラ座、ウィーンの国立歌劇場に次ぐ、ヨーロッパ第3位、イタリア国内では最大の劇場だ。ちなみに「マッシモ」とはイタリア語で「最大」の意味。そのままじゃん!
マッシモ劇場はまた、フランシスコッポラ監督の映画「ゴッドファーザー3」で終盤のクライマックスシーンが撮影されたことでも有名。多くの観光客が訪れる。ギリシャ神殿をおもわせる正面のファサードを見ていると、今にもコルレオーネが、満足げに階段を降りてきそうな雰囲気だ。
パレルモの裏路地
ルッジェーロ・セッティモ通りは、マッシモ劇場を過ぎるとマクエダ通りと呼び方が変わる。道はこの先、ゆるやかに下りながらまっすぐ伸びており、旧市街の黒ずんだ重厚な建物群のさらに遠方には、シチリアの乾いた山がかすんで見えている。
わたしたちはここでマクエダ通りに別れに告げ、通りの西側に広がる、狭く入り組んだカオスのような路地へと進んだ。都市というのはきれいに着飾った表通りより、こんな日もささないような細く薄暗い裏路地にこそ、本当の姿があるのかもしない。
サンドメニコ教会
しばらく裏路地をすすむと、突然視界が開け明るい大通りに出た。どうやらマクエダ通りと並ぶ旧市街のメインストリート、ローマ通りのようだ。ちょうど道をわたった反対側に、サン・ドミニコ教会の洗練されたファサードが見える。教会前の広場では露店がお店を始めようとしていた。
「あ、サッカーのユニフォーム売ってる!」
目ざとくこどもたちが叫ぶ。我が家では旅行先で自分たちのためにおみやげを買うことはまずない。ただし今回のイタリア旅行では、こどもが2人ともサッカーをやってるので、練習の時着れるようなサッカーウェアーがあったら買ってもいいかな、と思っていた。
こどもたちはもうユニフォームのことしか目に入っていないようで、広いローマ通りを、まるで小さなゴミが掃除機に吸い込まれるように走ってわたる。いや、危ないって!
子連れでサッカーウェアを買う
教会前のその露店では、主に2006ワールドカップドイツ大会の時の、各国のユニフォームを売っていた。中でも優勝国であり、地元でもあるイタリアチームの品揃えが断トツに多い。
「あ、11番があった!」
「おれ、10番がほしい!」
カイもリュウも、自分のチームで着ているのと同じ背番号のウェアが欲しいようだ。
「11番、、ん?ジラルディーノ、、ってあれだろう、ジダンに頭突きされたやつ。それじゃなくてキャプテンのカンナバーロとかにしとけば?」
とすすめたが、どうしても自分の背番号と同じのがいいと言う。こどもの考えることはよくわからん。
リュウの10番/トッティは在庫がたくさんあって、サイズもぴったしのがすぐ見つかった。今すぐ着て歩きたいという。もったいないと思ったが、まあめったにおみやげなんて買わないからいいか。でも、これは大正解。このあとレストランへ行っても街を歩いていても「トッティ、トッティ」と声をかけられてすごい人気者扱い。こんなことなら、地元パレルモから代表入りしたグロッソとかにしとけばよかったかな?
一方カイの11番はちょうどいいサイズがない。
「やっぱりほら、カンナバーロにしとけよ」
としつこくせまったが、どうしても11番がいんだって。まあ今日シチリアへ着いたばかりだし、これからまだチャンスはあるでしょう。
イタリアのワールドカップ優勝記念のTシャツもよかったが、結局大騒ぎして買ったのはリュウの「トッティ」1枚だけ。13ユーロでした。
ヴッチリア市場
パレルモ観光でもっとも楽しみにしていたひとつは、パレルモ最古の市場、ヴッチリア市場を子連れで見学すること。ヴッチリア市場は、サン・ドミニコ教会南側の裏路地に、魚介類、果物、野菜、肉、お菓子、オリーブ、ドライトマト等を扱う無数の露店がならび、いつも大勢の人でごったがえしている、パレルモを代表するメルカートだ。
海から上がったばかりのウニや、パレルモ名物パーネ・コン・ミルツァをほおおばりながら、喧嘩してるかのような売り手と買い手のやりとりを見るのが、旅行前からの楽しみだった。しかし今日は聖母被昇天祭の翌日。人もお店もまばらで、活気ある市場の姿とはほど遠い。
「やっぱり今日は市場お休みなんだよ」
さんざん歩きまわったが、どこも閑散と静まりかえっている。日差しもだんだんきつくなってきたし、これ以上歩きまわっても無駄のようだ。時計を見ると午前10時前。レンタカーのオフィスが開く時間だ。
「ここまでか」
しかたない、市場見学をあきらて、レンタカーオフィスがある海岸通りのほうへ向かおう。
うず高く積まれた空箱のうえで、去っていくわたしたちを、野良猫がじっと見つめていた。