プルシアンブルーの通り雨〜さよならプーケット・アリスマンを探して
サワディークラッ!マリンスポーツ歴40年、東南アジアへの渡航歴50回以上のイルカパパです。小2と小5の子連れ家族で楽しんだプーケット旅行もついに最終日。朝食後チェックアウトしてプーケット国際空港へ向かいました。
黄色シャツ党の空港占拠を紙一重の偶然で免れたことと赤シャツ党のリーダーがアリスマンだったことに驚いた
今回の旅行を振り返って
ついにプーケット旅行最終日がやってきた。この旅行記もあと2項目で終わりになる。ここで今回の旅行を振り返って、特筆すべき3つのポイントを書き出してみたい。
1つ目は、こどものアクティビティ参加について。今回の旅行のメインテーマは「プーケットの大自然を親子で楽しむ」こと。
我々は、滝壺トレッキング、ゾウ乗りサファリ、急流ラフティング、シュノーケリング、クルージング、ミニゴルフ、シーカヤック、など、海に山に川に繰り出し、やりたいことに挑戦できた。実は今までの旅行では、アクティビティに参加するのに年齢制限があったり、ツアーが終わってホテルに戻る時間が遅くなるとか、移動中のトイレの心配、食事をどうするか、など子連れにハードルが多くて断念したアクティビティがたくさんある。
関連記事:エレファントトレッキング
今回カイが小5、リュウが小2になり、ほとんど親と変わらないアクティビティに参加できるようになったのが大きい。アクティビティ参加の制限がないとうのは、旅行のプランを練る上でとてもありがたいことだ。
「やりたいことがほぼ完璧に楽しめた」今回の旅行は、アクティビティ体験の観点からは、完成形に近いと言っていいかもしれない。
2つ目のポイントは、旅行の計画と手配の時期について。
今まで我が家の子連れ旅行では、出発の10ヶ月~1年前に手配を完了させていた。ヨーロッパやアフリカの人気リゾートに家族4人で泊まるためには、それくらい前から手配しないと押さえられないためだ。またキャンセル料も早くから発生する。こどもの年齢があがってくると、特に、小学校の高学年くらいになると、習い事や塾、スポーツの関係で、予定が立てにくくなる。首都圏や関西圏などでは中学受験の準備を開始するご家庭も多いだろう。先々の予定が立てにくい小学校高学年の子供を連れて、ヨーロッパやアフリカ旅行の計画を立てるのはかなり厳しいと言える。
その点、プーケットや東南アジアのリゾートでは、フライトとホテルの数が多いため、直前でも予約可能なことが多い。もしあなたが、子連れ旅行を複数回しようと考えているなら、東南アジア方面は、子供の予定がたてにくくなる小学校高学年まで温存しておくことをおすすめる。
我が家でも、今回の冬休みはカイのサッカーの試合や合宿のスケジュールがなかなか決まらず、直前まで旅行の手配ができなかった。それでもホテルもフライトも確保でき、これだけの内容が組めことは、わたしの理論が実証されたことになり嬉しく思う。(それ行け!東南アジアは高学年まで温存の法則)
3つ目はタイでの旅行スタイルはホテル&タクシー、ということ。
わたしは、レンタカーを上手に活用し、コンドミニアムで自炊しながら暮らすように滞在する「コンドミニアム&レンタカー」というスタイルを、子連れ海外旅行の黄金パターンとして、かねてから提唱してきた。しかしこの法則は、東南アジアにはあてはまらない。レンタカーを借りるより、タクシーをチャーターするほが安いからだ。そのうえ、道路/交通事情や自動車保険制度の充実度合いなどを考慮すると、ますますタクシーのほうが有利になる。
レンタカーかタクシーか、の目安になるのは、旅行先の国の1人当たりGDP(国民所得)の水準。1人当たりGDPが1万ドルというのが、タクシーまるごとチャーターか、レンタカー活用かの分岐点になる。その意味ではタイの1人当たりGDPは、今9000ドル目前なので、あと数年したら、タクシーよりレンタカーのほうが安くなるだろう。
ちなみにケニアやタンザニア、マダガスカル等では、タクシーさえも危険。ドライバー&ガイドを付けて周遊するスタイルが一般的だ。タクシー利用か、ドライバー&ガイド付き周遊かの目安は、1人当たりGDP1000ドル。アフリカのほとんどの国は、1人当たりGDPがこの水準以下だ。
コンドミニアムかホテルに関しては、事情が替わりつつある。ちょっと前までは、タイはとにかく人件費もホテル代も安かったので、ヨーロッパやアフリカのリゾート地と比べると、信じられないような料金で豪華なホテルに泊まることができた。それが近年ではホテル料金が上昇してきているのと、ホテルに負けないくらい豪華なコンドミニアム(東南アジアではヴィラと呼ぶことが多い)が登場してきているので、必ずしもホテルにこだわる必要はなくなっている。
まだまだタイより国民所得が低いインドネシアやベトナムでは、プライヴェートプール付きヴィラで、掃除や調理さえスタッフがおこなってくれる所がたくさんある。欧米のコンドミニアムなら自炊するところを、スタッフが朝昼晩、部屋のキッチンでお好みの料理をこしらえてくれるのだ。まさに王様身分。残念ながら今回は手配にかける時間がなかったのでそこまでは探せなかたが、もしまた機会があればそんなヴィラに泊まってみたい。
裏ミッションと黄色シャツ党のつながり
今回の旅行にはもうひとつのミッション、言わば裏ミッションとでもお言おうか、があった。
それはこの旅行記の中でもたびたび取り上げたが、20年前、わたしがバンコクで買った音楽テープの歌手名と歌名をつきとめ、願わくばそのCDを買って帰ることだ。旅行中にわかったのは、あの歌を歌っている歌手は「アリスマン」で、現在は国会議員になっているということ。これについては、日本に帰って調べているうちに、新たな事実が判明したので、ここに少し記述しておこう。
我が家がプーケット旅行に出かけた2008年の年末、バンコク・スワンナプーム国際空港とドンムアン空港は、黄色いシャツを着た民衆のデモ隊に封鎖された。多くの観光客やビジネスマンに影響をおよぼした、このタイ空港封占拠事件は、まだ我々の記憶に新しい。あの事件で年末のタイ旅行を断念した人も少なくないだろう。
日本からプーケットへはバンコク経由で行くのが一般的だ。なぜならプーケットもバンコクも同じタイだから。しかしわたしたちは、成田~クアラルンプール~プーケット、という行程で、バンコクを通らずにプーケット入りしている。これは旅行の後半ボルネオ島へ行くので、料金を安くするために全行程マレーシア航空を利用したからだ(ボルネオ島の北部はマレーシア領)。おかげ我が家は黄色シャツ党によるバンコク空港封鎖の影響を受けずにすんだ。
人生何が災いをもたらし、何が幸福を呼ぶかわかりませんねー。
参考記事:クアラルンプール国際空港で乗り継ぎ
黄色シャツ党の空港占拠事件
さて、バンコクの空港を占拠/封鎖したこの黄色シャツ党(PDA=民主化市民連合)とはいったい何物か?
今回の一連の流れを年表風に整理してみよう。
- 2006年9月、ソンティ陸軍司令官を中心とする軍部のクーデターでタクシン首相が失脚、イギリスへ亡命する。
- 2006年10月、スラユット首相(就任当時は枢密院顧問官)の下で暫定政権が発足。
- 2007年12月、下院議員選挙が行われ、タイ愛国党(タクシン派)の流れを汲む国民の力党が第一党となる。
- 2008年1月、タクシン派で元バンコク都知事のサマック党首が首相に就任し、翌2月に同首相の下で、政権が発足する。
- 2008年4月、この頃より黄色シャツ党による、反政府行動が激しさを増す。
- 2008年9月、憲法裁判所により、サマック首相が報酬を得てテレビ番組に出演していたことが違憲と判断され、同首相は失職。これを受け、同月ソムチャイ副首相(タクシン元首相の妹を妻に持つ)が国会で首班指名を受けて、新首相に選出され新政権が発足、
- 2008年11月26日、黄色シャツ党は、ソムチャイ首相の政権退陣を求めてバンコク国際空港、旧国際空港の2空港を占拠。
- 2008年12月14日、タイ憲法裁判所は、07年末の下院選での選挙違反を理由に、ソムチャイ政権の最大与党「国民の力党」など与党3党に、解党を命じる判決を下す。これにより政権が崩壊。
- 2008年12月15日、国民の力党の一部及び連立与党が民主党支持に回ったため、民主党を軸にした連立政権が誕生。アピシット民主党党首が首相に選出され、政権交代が行われた。これを受け、PDAは2空港の封鎖を解除した。
黄色シャツ党が退陣を求めて空港を占拠したソムチャイ首相は、前任のサマック首相の退陣を受けて副首相から昇格し政権を握った人物。そのサマック首相は、2006年のクーデターで失脚し、国外逃亡中のタクシン元首相の流れをくむ政権だ。クーデターの後、2007年末の総選挙でもタクシン派が勝利している、つまりタクシン支持は国民の民意であることがわかる。その流れに空港占拠という行動で抵抗した「黄色シャツ党」は、反タクシン派ということ。つまり過去5年間、タイの政局はタクシン派と、反タクシン派の抗争を軸に展開していることがおわかりいただけるだろう。
ではそこまでタイの情勢に影響を及ぼすタクシンとは何者なのか?
タクシン氏は、警察官僚から起業家に転身、一代で巨大財閥を作り上げた立志伝中の人物。彼が創業しタイ証券取引所に上場した「シナワトラコンピューター&コミュニケーション」株につては、わたしもかって仕事で関わったことがある。その後タクシン氏は2005年に政界に進出、総選挙で圧勝し、タイ憲政史上初めての単独政権を樹立した。タクシン氏は経済危機からの回復を導いたとして、政治手腕が高く評価されている。一方、低所得者層、農村重視の政策が、都市部市民や保守派、特権階級の反発を買った。
そして2006年9月、クーデターにより失脚したのだ。
しかしその後の総選挙でもタクシンの流れをくむ政党が勝利し、タクシンの影響力はなかなか衰えない。そこで、タクシンに反発するお金持ちや、都市住民を中心に結成された黄色シャツ党が空港を占拠し、それにより結果的にアピシット政権が誕生する。
赤シャツ党のリーダー・アリスマン
それに対して、アピシットが正当な手段を経ずに首相になったと決起した民衆のデモ隊が、赤シャツ党(UDD=反独裁民主主義同盟)であり、そのリーダーがアリスマンなのだ。アリスマンは貧しい家庭に生まれ、ウエェイターの仕事をしながら国民的スターにまで登り詰めた人物。彼の生い立ちを考えると、低所得者、貧困層の救済を計ったタクシン氏を指示するのは理解できる。
アリスマン率いる赤シャツ党は10万人規模のデモ隊に膨れ上がり、2009年4月には、パタヤで開催されていたASEAN拡大会議を中止に追い込んだ。この時、ASEAN議長にアピシット政権の不当を訴える書簡を手渡したアリスマンは、暴動を煽動したとされ逮捕されている。その後も赤シャツ党は大規模なデモをおこない、政府に対して抗議行動を繰り返している。
- 2010年4月3日、タクシン元首相支持派=赤シャツ党は、バンコク中心部のショッピングエリアの道路を占拠しデモ活動を開始。この影響で周辺のショッピングセンターは臨時休業となる。
- 2010年4月7日、政府はバンコクと周辺県に非常事態宣言を発令。適用地域は、バンコク都全域、ノンタブリー県全域、サムットプラカーン県内6郡、パトゥムタニー県内5郡、ナコンパトム県内1郡、アユタヤ県内4郡。
- 2010年4月10日、民主記念塔付近で赤シャツ党と警察部隊の衝突が発生し、日本人ジャーナリストを含む多数の犠牲者が出た。
- 2010年4月12日、選挙管理員会は最大与党民主党の違法献金疑惑問題に対し、「解党が相当」との判断を下した。
今後の情勢は余談を許さないが、このまま混乱が続けば、海外企業はタイへの投資を控えるだろうし、ビジネスマンや観光客の減少を誘発する。それはタイの経済発展を願うアリスマンの希望とは異なるものだ。一刻も早い混乱の収集と、犠牲者の方のご冥福を心からお祈りしたい。
プーケット最後の朝食
いよいよプーケット最後の朝がやって来た。子供たちと楽しく過ごしたプーケットとお別れするのは、胸が張り裂けそうなくらい寂しい。その旅立ちの心境は、失恋の胸の痛みと似ているかもしれない。
こどもたちは日々成長し、体力も考え方もどんどん変わってゆく。だからたとえ1年後に家族でプーケットにやって来ても、同じ感動は味わえないのだ。子連れ旅行というのは、その時1回しか体験できない旅行だ、ということを肝に命じておこう。
鳥たちのさえずりがシャワーのように降り注ぐ、風が光る朝のテラスで、今朝も美味しい朝食をいただく。
楽しかったプーケットとお世話になったこのホテルにお礼を言って、さあ、次の目的地へ旅立ちだ!
さよならプーケット
朝食のあと、いったん部屋に戻って荷物の整理をする。パッキングが終わった荷物は、部屋のドアの前に出しておけば、ポーターが車まで運んでくれるから楽チンだ。7時40分頃、トンチャイがカートで迎えに来てくれた。そのままロビーに寄って、チェックアウトの手続きをすませ、再びカートに乗ってホテルエントランスまで降りる。
「楽しかったですか?」
日に焼けたトンチャイが白い歯をこぼしながら尋ねる。
「すげー楽しかった」
「おれ、このホテル大好き!部屋にプールがあるなんて超サイコーだよね」
こどもたちも白を歯をこぼしながらにぎやかに答える。
「それはよかったです、また遊びにいらして下さい」
エントランスの車寄せには、すでにタクシーが待機しており、わたしたちの荷物がトランクに積み込まれていた。
「ありがとう、さようなら」
「ありがとうございました、お気をつけてお帰り下さい!」
白い制服に身をつつんだスタッフに見送られながら、タクシーはゆっくりと発進する。窓を開けると、朝露の雫に包まれた草木の香りと、セミたちの鳴き声が、風とともに車内を吹き抜けた。眩しい光の中、手を降るみんながゆっくりと遠ざかる。
風も雲も光も音も、その全てを記憶にとどめて、わたしたちは思い出いっぱいのヴィラゾリテュードを後にした。
プーケット国際空港から出国
「ずいぶん順調に来たね」
少し渋滞すると予想していたのだが、道路は拍子抜けするほどすいていて、ホテルを出発してからおよそ40分でプーケット国際空港に到着した。時計を見ると午前8時30分を少し回ったところ。空港までのタクシー料金は800バーツ(1バーツおよそ2.7円)だった。
プーケット国際空港ではカートは無料なので、荷物を車のトランクから出したらすぐにカートに積み替える。そして出発ロビーに入る手前でセキュリティチェックをすませてから、建物に入るのだ。出発ロビーに入ったら、マレーシア航空のカウンターで搭乗手続きをする。わたしたちはこれからクアラルンプール経由でボルネオ島のコタキナバルへ向かうので国際線だ。飛行機に預ける荷物はコタキナバルまでスルー。乗換え地のクアラルンプールでは荷物を受け取ったり、また預け直したりする必要はない。
参考記事:プーケット国際空港に到着
CDショップがない
さて搭乗手続きが終わり、搭乗ゲートへ進む前に、お店をのぞいていこう。アリスマンのCDが買える場所はもうこのプーケット空港しかない。まさかクアラルンプール空港で売ってるとは思えないし。出発ロビーには、お土産やさんがずら~と並んでいる。アロマやバス用品のお店、タイシルクのお店、ダンキンドーナッツもあるけど、CDショップがない!エエ~~。
お香を売っているお店で、店員さんに例の紙を見せたら「あー知ってる、知ってる」と笑うが、空港にはCDショップはないんじゃないかと言う。そのCDならわたしん家に帰ればあるかもしれないけど、ねえ。
いや、ねえと言われましても。
「なんでショッピングモールに行ったときに探さなかったのよ」とママの厳しい一言。
「いや~あの時はすっかり忘れてたんだよー」
「じゃあ、そんなに大切なことじゃないんじゃないの」
「いや、これは大事なことなんだ、この20年間ずっと知りたいと思ってことだよ」
ショッピングモールへ行った時は、まだ曲の名前も歌手の名前も知らなかった。パンガー湾のツアーで、クルーたちに聞いてはじめてわかったことですから。でもこの空港になかったらもうお手あげだ。あとはいつになるかわからないけど、またタイに来る時にゲットするしかない。今回は、歌手名がわかったのと、タイ語で読めないけど曲名らしきものがわかっただけで大きな収穫としよう。
おわりに
出国手続きをすませて中に入ると、そこにもまたデューティーフりーやギフトショップが並んでいた。でも、おっ!私がたくさん買ったクッションカバーですが、ここよりセントラルフェスティバルの方が安かったです!はっはっは。
最後に機内持ち込み手荷物のセキュリティチェックを終えて、ブリッジを渡り飛行機に乗り込む。ガラス張りのブリッジからは、朝日を受けてまぶしいプーケットの緑が見えていた。ああ、きっと今日も暑くなるんだろうナ。わたしたちが来ようが来まいが、そしてわたしたちがプーケットから立ち去っても、この島の風や太陽の光、時折大地を湿らす雨は、そんなことはちっともおかまいなく営みを続けるのだろう。
機内に入って座席を確認し、シートベルトを締めた。やがて滑走路から海に向かって飛び出した飛行機は、ぐんぐん上昇し青空の一部となる。
翼の下には、風が光るパンガー湾を、今日もクルーズ船がゆっくり白い尾を引きながら、すべるように走っていた。
こどもたちがプーケット/カオラックで楽しかったこと
第1位 ラフティング
第2位 パンガー湾シーカヌー探検
第3位 ディノパークでミニゴルフ
第4位 ゾウ乗りサファリ
第5位 ホテルのプール(部屋にプールがあったこと)
プルシアンブルーの通り雨・プーケット子連れ旅行記・アリスマンを探して 終わり