アフ・ビナプ〜インカの使者
今日のツアーのしめくくりは、島の南西海岸にるアフ・ビナプ。
ハンガロア村からも近く、ツアー終了後すぐホテルに帰れるのでなにかとありがたい
(今日まわった4ヶ所の遺跡には、いずれもトイレはありません)。
アフ・ビナプにはアフNo.1とNo.2の2つのアフがある。
特にアフNo.1の石組は、
カミソリの刃も入るすき間がないほど、
ぴったりと精巧に組まれている。
このアフは西暦875年ころに作られたと推測されているが、
その石組みの技術の高さから、
南米ペルーの
インカ文明との関連性を指摘する考古学者もいる。
インカといえば、マヤと同じく、文字を持たない文明であったため、
未だに解明されていない事柄が多い。
一方、イースター島にはロンゴロンゴという文字があったのだが、
それを読める島民は残っていない。
歴史に「もし」は禁物であるが、
それでも、もし、ロンゴロンゴ文字を解読できる島民が生きていたなら、
インカやマヤについて、
どんなことがわかっていたのだろうと想像してしまう。
アフビナプは海岸にある / 5体のモアイが倒れている / アフビナプを散策するツアー参加者たち
フリ・モアイ
アフ・ビナプでは、6体のモアイが顔を下にしたままうつぶせに倒れている。
1770年、スペイン人フェーリペ・ゴンザレスが島を訪れ、領有宣言をした。
この時モアイはまだアフのうえに立っていたという。
しかし、1774年にジェームズ・クックが訪れた時には、
モアイはすでに倒れていたと航海日誌に記されている。
つまりこのわずか4年の間に
「フリ・モアイ=モアイ倒し戦争」
という部族間の争いが起こり、
島の全てのモアイが倒されたことになるのだ。
ところで、アフ・ビナプには、
1体だけ女性のモアイ像がある。
プカオと同じ赤色凝灰岩で作られた、細身のモアイだ。
モアイはその部族の長をモデルにしている、という説があるが、
そうだとすれば、
部族の長の中には女性もいたということだろうか。
プオカ / 倒されたモアイ / 女性のモアイ
落書きをした日本人
数年まえ、日本人観光客が
アフ・ビナプのモアイに落書きをする、
という事件がおこった。
イースター島には、世界中から観光客が訪れるため、
日本人観光客の比率はけっして高くない。
その日本人がこのような事件をおこしたのは、
ただの偶然なのか?
それとも日本人には多かれ少なかれ、
このような傾向があるということなのか?
イースター島のモアイ像は1995年に、ユネスコの世界遺産に登録されている。
事件をおこした日本人は逮捕され、
その後2週間拘留された。
めったに行く機会のない最果ての島に、
思いのほか長く滞在することができて、
満足だったに違いない.。