アフ・ビナプ〜インカの使者

2019年1月31日

アフ・ビナプを見学する子供達

今日のツアーのしめくくりは、島の南西海岸にるアフ・ビナプ。

ハンガロア村からも近く、ツアー終了後すぐホテルに帰れるのでなにかとありがたい

(今日まわった4ヶ所の遺跡には、いずれもトイレはありません)。

 

アフ・ビナプにはアフNo.1とNo.2の2つのアフがある。

 

特にアフNo.1の石組は、

カミソリの刃も入るすき間がないほど、

ぴったりと精巧に組まれている。

 

このアフは西暦875年ころに作られたと推測されているが、

その石組みの技術の高さから、

南米ペルーの

 

インカ文明との関連性を指摘する考古学者もいる。

 

インカといえば、マヤと同じく、文字を持たない文明であったため、

未だに解明されていない事柄が多い。

 

一方、イースター島にはロンゴロンゴという文字があったのだが、

それを読める島民は残っていない。

 

歴史に「もし」は禁物であるが、

それでも、もし、ロンゴロンゴ文字を解読できる島民が生きていたなら、

 

インカやマヤについて、

 

どんなことがわかっていたのだろうと想像してしまう。

 

アヒビナプ  

         アフビナプは海岸にある / 5体のモアイが倒れている / アフビナプを散策するツアー参加者たち

 

フリ・モアイ

 

アフ・ビナプでは、6体のモアイが顔を下にしたままうつぶせに倒れている。

1770年、スペイン人フェーリペ・ゴンザレスが島を訪れ、領有宣言をした。

 

この時モアイはまだアフのうえに立っていたという

 

しかし、1774年にジェームズ・クックが訪れた時には、

モアイはすでに倒れていたと航海日誌に記されている。

 

つまりこのわずか4年の間に

「フリ・モアイ=モアイ倒し戦争」

という部族間の争いが起こり、

 

島の全てのモアイが倒されたことになるのだ。

 

ところで、アフ・ビナプには、

1体だけ女性のモアイ像がある。

 

プカオと同じ赤色凝灰岩で作られた、細身のモアイだ。

モアイはその部族の長をモデルにしている、という説があるが、

そうだとすれば、

部族の長の中には女性もいたということだろうか。

 

アフビナプのプオカ  

                                                            プオカ / 倒されたモアイ / 女性のモアイ

 

落書きをした日本人

 

数年まえ、日本人観光客が

アフ・ビナプのモアイに落書きをする

という事件がおこった。

 

イースター島には、世界中から観光客が訪れるため、

日本人観光客の比率はけっして高くない。

 

その日本人がこのような事件をおこしたのは、

ただの偶然なのか?

それとも日本人には多かれ少なかれ、

このような傾向があるということなのか?

 

イースター島のモアイ像は1995年に、ユネスコの世界遺産に登録されている。

 

 

事件をおこした日本人は逮捕され

その後2週間拘留された。

 

 

めったに行く機会のない最果ての島に、

 

思いのほか長く滞在することができて、

 

満足だったに違いない.。

 

紙の入る隙間もない石組み