ペルゲ遺跡
ペルゲ遺跡
アスペンドスを観光したあとは、ふたたびバスに乗って、ペルゲ遺跡へむかう。アスペンドスからはバスで20分ほどの距離だ。
ペルゲはローマ帝国時代に栄えた植民地パンフェリアの主要都市で、大きな都市の跡がそのまままるごと遺跡になっている。町の起源は詳しくは解明されていないが、トロイ戦争のあと移住してきたギリシャ人によって建設されたのが始まりではないかという説が有力。その後、紀元前4世紀にアレキサンダー大王のマケドニアの領土として歴史に登場し、ローマ時代には小アジアにおける原始キリスト教の重要拠点となった。新約聖書にも、パウロがこの地で説教をした記述が見られる。
街区は海抜50mほどのアクロポリスの丘を中心に、城壁やアルテミス神殿、ローマ時代のキリスト教会跡などの建造物が点在する。町を取り巻く城壁には東、西、南の3つの門が設けられ、南門の正面には、ヘレニズム様式の2つの円塔がそびえている。
古代都市の遺跡 / サッカーグランドのような古代のスタジアム / 倒れた柱
「広っ!」「ねえ、ここサッカーグランドだったの?」
バスは遺跡の手前にある競技場/スタジアム跡で停車。その広さ、形を見てこどもたちが質問する。
「ははは、いくらイタリア人やトルコ人がサッカー好きだと言っても、さすがにこの時代にはまだサッカーはなかったよ」
この古代スタジアムの大きさはは234m×34mで、収容人員1万2000人という大規模なもの。確かにちょっと想像力を働かせればサッカースタジアムにも見える。戦士の控え室や、スタジアムの周囲にあった商店跡も見学することができる。またスタジアムの隣には、これまた1万3000人を収容できる、紀元前3世紀に造られた大劇場がある。
駐車場にはいろんな露店が出ていた
スタジアムを見学したあと、またバスに戻って、そこからほんの数百メートル先にある駐車場まで移動する。もう昼前で日差しは強烈なことになっているし、これから見学するペルゲ遺跡自体も広~いため、歩く距離はかなりのものになるだろう。ここは少しでも楽をさせてあげよう、というコンチャのはからいか。よっ、いいぞ!
バスを下りると遺跡の駐車場には、たくさんの露店が出ていて、美しアクセサリーや陶器などを売っていた。お店の番をしているのは、ほとんどお母さんみたいな年齢の女性だが、中に1人、小学生くらいの女の子が、色鮮やかな民族衣装を纏ってネックレスを売っている。カメラをむけると、ニコッと微笑んだ。ウ~~っむ、トルコの人が親日的というのは本当みたいだね、ってわたしが日本人かどうかなんて、彼女、知らんでしょう。
コンチャイに聞くと、ストリートチルドレンではなく、単に夏休みなので家の手伝いをしているとのこと。お~~、よかった。
入場チケットはゲートの入り口付近にあるチケット販売ブースで買える。
入場料は10YTL。
ここの入場ゲートもやはり自動改札だった。すご過ぎるぞ、トルコ!
入場ゲートを入ると、赤い実がたわわに実ったサボテンの林を通り、それから南門へつづく、埃っぽいじゃり道を歩く。
ガイドのコンチャイと / 日本にはいない種類のテントウムシ
日差しが強くて、遺跡が転がる草むらに虫すら鳴いていない。
音もなく、時が止まったような古代の街路をそぞろ歩きながら、額ににじむ汗をぬぐった。