まるで遺跡のテーマパーク!世界遺産エルサレム
ども、シャローム!子連れ海外旅行をこよなく愛するイルカパパです。小2、小5の子供を連れて家族でイスラエルを旅行しました。今回のブログ記事はエルサレムのおすすめ観光スポットや子供達と観光したときの体験談をレポートします。
エルサレムの帰属
つづら折りのカーブが連続する峠道を登り切ると、突然視界が開け、なだらかに続く丘と、古い石造りの街が見えてきた。
空は海のように青く輝き、手を伸ばせば届きそうなくらい近い。
そしてその一面の空から、まだ朝の8時過ぎだというのに、虫めがめで凝縮したような強い日差しが、音もなく降り注いでいる。
エルサレムは、地中海沿岸から40kmほど内陸に入った、標高800メートルの山の頂にたたずむ世界最古の都市だ。街の中心にはユダヤ教、イスラム教、キリスト教の世界3大宗教の聖地があり、世界中の人々から「聖都」と讃えられている。3000年の時の中で、いつも歴史の表舞台に立ち続け、今なお「現役」として活気に溢れている希少な都市だ。
現在イスラエルはこの街を首都としている。しかし、日本をはじめ主要国はこれを認めていない。エルサレムの帰属は1967年の第三次中東戦争でイスラエルがエルサレム全域を制圧し自国領土としたことによる。1947年のもともとの国連決議では、エルサレムの西側がイスラエル領、旧市街のある東エルサレムはヨルダン領とされていた。
子連れにおすすめのスポット
エルサレム旧市街の西方、ヘルツルの丘に、ぜひ訪れたい博物館がある。
第二次世界大戦中、ナチスによって虐殺された600万人のユダヤ人を慰霊するホロコースト歴史博物館=ヤドヴァシェムだ。
ヤドヴァシェムとはヘブライ語で「記念と記憶」という意味。ホロコーストで犠牲になった人々の名前や写真、生涯に関する記録が収められている。
人類が犯した大きな過ちと向き合い、なぜそれがおこったのか、これからわたしたちは何をしなければいけないか、未来を担うこどもたちと考えることは、とても貴重な体験になるはず。
ヤドヴァシェムの庭園にある「名誉の壁」には1人の日本人の名前が刻まれている。
イスラエル政府より日本人として初めてヤド・バシェム賞を受賞し、「諸国民の中の正義の人」に列せらる「杉原千畝(すぎはらちうね)」の名前だ。
杉原は、第二次世界大戦の際、リトアニアの領事館で、自らの危険を省みず、ユダヤ人が亡命できるようにビザを発給し続けた「正義の人」だ。リトアニアを併合したソ連政府から再三の退去命令を受けながらも、ベルリンへ旅立つ9月5日まで、およそ1か月余り、不眠不休でビザを書き続け、ナチスドイツによる迫害を受けていたおよそ6000人にのぼるユダヤ人の命を救ったとされる。杉原による領事特別許可証の発行は、ベルリン行き列車の出発寸前まで駅のホームで続けられた。
トーマス・キリーニー原作、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」の主人公オスカー・シンドラーも、第二次大戦中多くのユダヤ人を救った人として知られている。実際、2009年にシドニーの図書館で偶然、本物の「シンドラーのリスト」のコピーが発見された。そこには801名のユダヤ人の名前が記されていた。
しかし日本のシンドラー、杉原が救ったユダヤ人の数はその7倍以上にのぼる。さらにオスカー・シンドラーがイスラエル国家によって「正義の人」に認定されtのは、杉原より8年も後の1993年、つまり映画「シンドラーのリスト」が全米公開された年だ。
これからは杉原を「日本のシンドラー」と呼ぶのではなく、シンドラーを「ドイツのスギハラ」と呼ぼう。
1991年9月、リトアニア政府は杉原の功績を讚え、首都ヴィリニュスの通りの一つを「スギハラ通り」と命名している。
ああ~~なんてことだ、子供と訪れたい場所がまたひとつ増えてしまった!!
エルサレムの見所
世界遺産に指定されるエルサレム旧市街は、そこらじゅうに歴史的建造物が溢れている。と言うか、街そのものが史跡といっていい。細い路地が複雑に入り組む構造は、まるで迷宮のようで、こどもたちの冒険気分を盛り上げてくれる。まさに遺跡のテーマパークだ。
学年がある程度上で、遺跡や地理に興味がある子なら、歩き回って探検して楽しめ、歴史や背景を考えながら観光して楽しめ、と2度おいしい。旧市街の内側は車の通行が制限されているため子連れでもゆったり散策できる。
ここではそんなエルサレムの見所を、ピックアップしよう。
ダビデ王の墓
シオン門の南にあるシナゴークの建物内にある。ダビデは古代イスラエル王国2代目の王で、王国の繁栄の礎を築いた。フィレンツェ/アカデミア美術館にあるミケランジェロ作ダビデ象のモデル。ダビデ王の墓から東に下った一帯は、エルサレム発祥の地といわれるダビデの町の遺跡が広がる。(ダビデ王の墓/無料、ダビデの町/有料)
最後の晩餐の部屋
ダビデ王の墓のある建物の裏側の2階にある部屋。イエスが処刑される前夜、弟子たちを集め「最後の晩餐」を行った。ミラノ/サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」とセットで訪れれば、感激もひとしおだ。無料。
悲しみの道/ヴィア・ドロローサ
ローマ総督ピトラによって死刑を言い渡されたイエスが、磔刑にされたゴルゴダの丘まで、十字架を背負って歩いた道。全長1kmのこの道は当時も今も繁華街で、イエスは大勢の民衆の目にさらされながら、十字架を背負ってここを歩いた。イエスがつまずいた場所や、民衆の娘たちに「わたしのために泣くな」と言った場所など、行程には12カ所のステーションがある。毎週金曜日にはフランシスコ派の修道士が、十字架を担ぎながらこの道を行進し、大勢の観光客や巡礼者が後を続く。
聖墳墓教会
イエスが十字架にかけられ処刑されたゴルゴダの丘に建つ教会、キリスト教最大の巡礼地。「ゴルゴダ」とはしゃれこうべの意味があり、人類最初の人間、アダムの頭蓋骨が埋葬されているからと伝えられている。教会内部には、十字架が立っていた跡や、イエスの墓があるアナスタシス(復活聖堂)など見所が多い。無料。
聖墳墓教会の地図
岩のドーム
モハメッドが天馬の乗って昇天したといわれる聖岩を、抱え込むように建つイスラム教の聖地。この聖岩の下の洞窟には、ダビデやソロモン、アブラハムも祈りを捧げたと言われ、ユダヤ教やキリスト教の聖地にもなっている。イスラム教によると、ハルマゲドンの後の最後の審判の日に、すべての魂がここに集まるとされている。またモハメッドはドーム内部の床にある緑の石に、19本の釘を打ち込んだとされ、すべての釘がなくなったとき、地球はもとのカオスの状態のなると言われている。現在は3本の釘が残っているのみ。2008年8月以降、イスラム教徒以外の入場不可。
嘆きの壁
エルサレム旧市街のほぼ中央にあるユダヤ教の聖地。紀元70年にローマのティトス将軍に破壊された第二神殿の外壁。嘆きの壁がある広場への入場は無料だが、テロ防止のため、厳しい手荷物検査がある。ユダヤ教の安息日である金曜の日没から土曜の日没までと、祝日は写真、ビデオ撮影禁止。それ以外の日は撮影可能。壁は男性用と女性用に祈りの場所が分かれている。
嘆きの壁の地図
城壁
エルサレム旧市街を取り囲む城壁には8つの門があり、それぞれに言い伝えが残っている。東に面する黄金門は現在閉ざされたまま。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教ともに、ここから救世主がエルサレムに入城すると信じられている。城壁に登って上を歩くコースもある。
カルド
旧市街の中心にあるショッピングストリート。世界最古の地図、マダバ地図にも世界の中心、エルサレムのメインストリートとして記されている。
ゲッセマネの園
オリーブ山の麓にあるオリーブ林の庭園。イエスも祈りのため頻繁にここを訪れており、ルカ福音書22章では、最後の晩餐を終えたイエスが、この庭園に入り神に祈りを捧げた姿が描かれている。
万国民教会
最後の晩餐のあと、イエスが最後の夜を過ごした場所に建つ教会。イエスが座って祈りを捧げた岩が、祭壇の前に置かれていて、誰でも触れることができる。
オリーブ山
標高825mのオリーブ山中腹には、大型バスの駐車スペースと展望台があり、大勢の観光客で賑わっている。ここから望むエルサレム旧市街の眺めは格別で、ガイドブックやパンフレットにもたびたび登場する。
周囲にはイエスの足跡が多く残され、キリスト教徒にとって神聖な場所。またユダヤ教では、終末の日、救世主がオリーブ山に降り立ち、黄金門との間に鉄の橋と紙の橋が架けられ、審判に望む人類は選択をせまられるとされている。
イスラエル博物館
世界最古の旧約聖書「死海写本」が展示されている死海写本館、第二神殿時代のエルサレムを復元した模型、イサム・ノグチのデザインによるビリー・ローズ・アート・ガーデン、子供の遊び場もある、こども体験学習センター、それに考古学棟、美術棟などから構成されるイスラエル最大の国立博物館。新市街の南西にある。
グレートシナゴーグ
ヤッフォ門の西の新市街にある、イスラエル最大のシナゴーグ。シナゴーグとはユダヤ教の教会。金曜夜の礼拝には、トーラーの朗読とコーラスがあり、ユダヤ教徒以外でも入ることができる。無料
洗礼者ヨハネ誕生の教会
洗礼者ヨハネが生まれた洞窟の上に建つ教会。新市街のヘルツルの丘の西にある。
ホロコースト博物館(ヤドヴァシェム)
ナチス・ドイツによって迫害され虐殺された600万人のユダヤ人を慰霊する博物館。ホロコーストに関する写真や遺品などが展示され、当時の惨劇を伝えている。
ヤドヴァシェムの地図
エルサレムへの行き方
ベングリオン国際空港からエゲッドバスで約1時間、タクシーで約45分。
テルアビブからエゲッドバスで約1時間20分、鉄道で約1時間。