日本の援助でタンザニアに作られた道路
車窓から草原の中に時おりマサイの村が見える。ワラと牛の糞で作られた素朴な家が点在する風景は印象的だ
ジャンボ〜!6歳(年長)から11歳(小6)まで6人の子どもを連れて、猛獣が闊歩するアフリカのサバンナでキャンプ旅行。旅行4日目でランチを終えた私たちはお世話になった大森さんに別れを告げ、再びサファリカーに乗って、今日の宿泊地ンゴロンゴロを目指しました。
秘密兵器を献上する
しょうゆせんべいに、かっぱえびせん、柿のたね、インスタントみそ汁。
日本が恋しくなったら食べようと持ってきていた「秘密兵器」を、
別れ際、全部大森さんにあげた。
もう7年以上日本に帰っていない大森さんは「お金には変えられないものです」と大喜び。
雇い主があんなに感激するなんて、
いったい何をあげたんだ?
とモーゼスとエドゥが不思議がっていた。
マクユニの広場
マクユニで水を買う
アルーシャを出発して、しばらく右手に雄大なメルー山の稜線を見ながら走る。
やがてマクユニという小さな村にさしかかり、
三叉路の交差点にあるガソリンスタンド兼売店のようなところで車は止まった。
モーゼスの話によると国立公園内のロッジで水を買うととても高いので、
ここで1週間分まとめて買っていくのがいいという。
それなら1家に2ダースづつ買っておこうか。
われわれは、この車をタンザニア滞在中ずっとチャーターしてるから、荷物は積みっぱなしでいいのだ。
それからアフリカでは水道の水を飲まないように言われている。
われわれは
歯みがきのあと口をゆすぐのも、
ミネラルウォーターを使っていた。
もったいないけど旅はまだこれからだし、
水があたったり、食中毒になったら大変だ。
これから行くところは、
病院はおろか薬局さえ、
いやそもそも
人間が住んでいない秘境なのだから。
おお~!素晴らしい道路だ/国際協力機構ジャイカと鴻池組の名前が/日本の援助で造られた道路
日本の道路
道路はマユクニから先ふた手に別れる。
まっすぐ進むとタランギレ国立公園、右に曲がるとンゴロンゴロ、セレンゲティ方面。
実はこのマユクマからンゴロンゴロ自然保護区のゲートまで続く道は、
日本の援助で作られたものだ。
交差点に建てられた看板には「国際協力機構/ジャイカ」と「鴻池組」の名前がある。
確かにアフリカに来て今まで走ってきた道路とは比較にならないほど路面がなめらかで快適だ。
センターラインもはっきりわかる。
タンザニアにはスウェーデンやイタリアの援助で作られた道路もあるのだが、
日本の道路が一番いい、
とみんな言っているらしい。
まあ、お世辞が入ってるにしても、
なんだかうれしくなってきた。
いいぞ日本!
こんな遠い国までやって来て、いい仕事してるんだね。
ナヴォイ劇場を作った日本人
ウズベキスタンの首都タシケントにあるアリシェル・ナヴォイ記念国立アカデミー大劇、通称「ナヴォイ劇場」は、日本人の勤勉さと建設技術の高さを物語る生きた証拠物件だ。*ナボイ劇場は地上3階建て、地下1階、1,400席を備えた堂々たる大劇場で、旧ソ連時代びはモスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)、キエフのオペラハウスと並び称される四大劇場の一つとされていた。
第二次世界大戦で日本が無条件降伏したとき、シベリアから満州にかけて展開していた日本兵の多くがソ連軍の捕虜となり、過酷な条件のもとで強制労働を強いられた。 ナヴォイ劇場も捕虜となった日本兵が建設に携わったのだが、冬は氷点下30度にもなる厳しい地に理不尽に連行され、強制労働をさせられているにもかかわらず、日本兵たちは真剣に責任感を持って仕事に取りんだと言う。
当時を知る現地のウズベキスタン人は現在も日本に好意と尊敬の念を持ち、そのことを子どもや孫の世代へ語り継いでいる。
1966年4月26日に起きたタシケント地震では、市内約78,000棟の建物が倒壊したが、日本人が建設に携わったナヴォイ劇場は無傷で、当時市民達の避難場所としても機能した。
ムト・ワ・ンブ村で見た路線バス/ンゴロンゴロ自然保護区の入り口
さよなら文明社会
アルーシャを出発して南西へ128km。
グレートリフトバレーにあるマニヤラ湖畔の村、 ムト・ワ・ンブを通り過ぎる。
「ムト・ワ・ンブ」とはスワヒリ語で「蚊の川」という意味。
このあたりの標高は1200mで、標高1400mのアルーシャとくらべるとやや気温も高く、蚊やその他の虫も多いのだろう。
道路はここから一挙に300mの断崖の壁を登り、文明社会最後の町、カラツ村を通り過ぎる。
もうこの先には町も村もありません。
覚悟を決めなければ。
これから1週間、文明社会から遠く隔たった未開の秘境で、小さなこどもたちと過ごすことを
やがてわれわれはンゴロンゴロ自然保護区のゲートに到着した。
ここが秘境の入り口。
日本の援助で造られた快適な舗装道路もここで終っている。
夕闇がせまるその先の密林へは、
赤茶けた未舗装道路がいかにも頼りなさそうに続いていた。
秘境への入り口。われわれは無事ここに戻って来れるのだろうか。。