日本の会社がやりました!史上最大の作戦 アフ・トンガリキ修復プロジェクト

2019年2月1日

 アフ・トンガリキ修復プロジェクト

アフ・トンガリキ修復プロジェクト

1980年代後半から90年代にかけて世界で頻発する紛争解決に、

日本は「金は出すけど汗はかかない」と皮肉られたものだ。

ところがどっこい、

金も人も出して汗もかいた国際援助があった!

5年の歳月をようして完成した世紀の復興プロジェクト、

ポリネシア文化圏最大の遺跡、

アフ・トンガリキ修復事業は、

高松市に本社をおく民間企業「タダノ」

の支援によるものだ。

ことのおこりは1988年、

現在も続いてるTBSテレビの人気番組

「世界ふしぎ発見!」でイースター島をとりあげたことに始まる。

番組放映当時、島にある1000体近いモアイのうち、

立っていたのは

たったの30体だけ

「倒れたモアイたちをもう一度立たせたい、せめて大きなクレーンがあれば、、」

と当時島の知事だったセルジオ・ラプ氏のインタビューに、

回答者の1人黒柳徹子さんが

どこか日本の企業が助けてあげればいいのに

と呟いた。

この呟きに奮い立ったのが

大手クレーンメーカー、タダノの社員だったのだ。

彼が会社にはたらきかけ、

ついには会社をあげての「モアイ修復プロジェクト」が動き出す。

アフトンガリキ遺跡 大阪万博に来たモアイ アフトンガリキと子供達

    アフトンガリキはイースター島最大のモアイ遺跡 / 大阪万博で来日したモアイ / 日本企業が修復した

立ちはだかる困難

ところがプロジェクトをすすめるにあたって、

考えもしないような困難に直面する。

アフ・トンガリキは1960年に発生した

チリ沖大地震の津波で壊滅的な被害を受けていた。

そこらじゅうに散乱した何万点にもおよぶモアイやアフの各パーツを、

ひとつひとつ繋ぎあわせて復元していく作業は、

永遠に終わる事のないジグソーパズル

のようだ。

また風化が進行しているモアイは、

アフのうえに立たせてもやがて崩れてしまうだろう。

モアイ自体を強化しなければ、

クレーンに吊るすことさえ不可能なのだ。

そもそも港のないイースター島に

どうやって大型クレーンを搭載した船を接岸するのか?!

しかしこのような問題でさえ、

人間がからんでいないだけまだましだ

イースター島やチリでは

「クレーンとモアイ修復のためのお金を受け取るのは誰か

で大いにもめる。

さらに日本とチリの考古学会でも、

修復プロジェクトの主導権をとれないなら

「モアイは自然のままがいい」

などと唱えて反対にまわる勢力があらわれる始末。

そのようなドタバタ劇を、

モアイはどんな気持ちで見つめていたのだろうか?

イースター島のミネラルウォーター 観光客で記念写真 

     イースター島のミネラルウォーター / サンチャゴ5人姉妹たちと / 日本人ガイドKさんに甘えるリュウ

モアイの微笑み

幾多の困難を乗り越えて、1995年春、

ついにトンガリキのアフに修復された15体のモアイ像が立ち並んだ。

現在イースター島のモアイで

「立っている」のはわずかに40体

その3分の1以上にあたる15体が、アフ・トンガリキにある。

人間が途方もない情熱を注ぎ込み作りあげたモアイ、

それを破壊したのが人間なら、

また途方もない情熱を注いで修復したのも人間だ。

「トンガリキ」とは、島の言葉で「王の港」の意味を持つ。

島で一番美しく壮大なその場所に立つモアイたちの表情は、

心なしか誇らしげだ。

太陽をさえぎる雲が風に飛ばされて、

さーっと空から神々しい光のカーテンが降りる。

そのとき

「人間は愚かだが偉大だ」

モアイの微笑みがこぼれるのを見た。

 アフトンガリキの全景