日本の会社がやりました!史上最大の作戦 アフ・トンガリキ修復プロジェクト
アフ・トンガリキ修復プロジェクト
1980年代後半から90年代にかけて世界で頻発する紛争解決に、
日本は「金は出すけど汗はかかない」と皮肉られたものだ。
ところがどっこい、
金も人も出して汗もかいた国際援助があった!
5年の歳月をようして完成した世紀の復興プロジェクト、
ポリネシア文化圏最大の遺跡、
アフ・トンガリキ修復事業は、
高松市に本社をおく民間企業「タダノ」
の支援によるものだ。
ことのおこりは1988年、
現在も続いてるTBSテレビの人気番組
「世界ふしぎ発見!」でイースター島をとりあげたことに始まる。
番組放映当時、島にある1000体近いモアイのうち、
立っていたのは
たったの30体だけ。
「倒れたモアイたちをもう一度立たせたい、せめて大きなクレーンがあれば、、」
と当時島の知事だったセルジオ・ラプ氏のインタビューに、
回答者の1人黒柳徹子さんが
「どこか日本の企業が助けてあげればいいのに」
と呟いた。
この呟きに奮い立ったのが
大手クレーンメーカー、タダノの社員だったのだ。
彼が会社にはたらきかけ、
ついには会社をあげての「モアイ修復プロジェクト」が動き出す。
アフトンガリキはイースター島最大のモアイ遺跡 / 大阪万博で来日したモアイ / 日本企業が修復した
立ちはだかる困難
ところがプロジェクトをすすめるにあたって、
考えもしないような困難に直面する。
アフ・トンガリキは1960年に発生した
チリ沖大地震の津波で壊滅的な被害を受けていた。
そこらじゅうに散乱した何万点にもおよぶモアイやアフの各パーツを、
ひとつひとつ繋ぎあわせて復元していく作業は、
永遠に終わる事のないジグソーパズル
のようだ。
また風化が進行しているモアイは、
アフのうえに立たせてもやがて崩れてしまうだろう。
モアイ自体を強化しなければ、
クレーンに吊るすことさえ不可能なのだ。
そもそも港のないイースター島に、
どうやって大型クレーンを搭載した船を接岸するのか?!
しかしこのような問題でさえ、
人間がからんでいないだけまだましだ。
イースター島やチリでは
「クレーンとモアイ修復のためのお金を受け取るのは誰か」
で大いにもめる。
さらに日本とチリの考古学会でも、
修復プロジェクトの主導権をとれないなら
「モアイは自然のままがいい」
などと唱えて反対にまわる勢力があらわれる始末。
そのようなドタバタ劇を、
モアイはどんな気持ちで見つめていたのだろうか?
イースター島のミネラルウォーター / サンチャゴ5人姉妹たちと / 日本人ガイドKさんに甘えるリュウ
モアイの微笑み
幾多の困難を乗り越えて、1995年春、
ついにトンガリキのアフに修復された15体のモアイ像が立ち並んだ。
現在イースター島のモアイで
「立っている」のはわずかに40体。
その3分の1以上にあたる15体が、アフ・トンガリキにある。
人間が途方もない情熱を注ぎ込み作りあげたモアイ、
それを破壊したのが人間なら、
また途方もない情熱を注いで修復したのも人間だ。
「トンガリキ」とは、島の言葉で「王の港」の意味を持つ。
島で一番美しく壮大なその場所に立つモアイたちの表情は、
心なしか誇らしげだ。
太陽をさえぎる雲が風に飛ばされて、
さーっと空から神々しい光のカーテンが降りる。
そのとき
「人間は愚かだが偉大だ」
と
モアイの微笑みがこぼれるのを見た。