子ども6人連れアフリカ旅行記〜マサイ族の集落と小学校を子連れで訪問編
マサイ族の歓迎のダンス。若い男性たちが歌を歌いながらリズムに合わせてぴょんぴょん飛び跳ねる
ジャンボ〜!6歳(年長)から一昨日まで11歳(小6)の6人の子どもを連れて、猛獣が闊歩するアフリカのサバンナでキャンプ旅行。
旅行6日目、ンゴロンゴロからセレンゲティに移動する途中でマサイ族の集落に立ち寄りました。異民族との触れ合いに子ども達はどんな反応を示すでしょうか。
子連れアフリカ旅行のスケジュール
- 1日目:羽田→
- 2日目:ドバイ→ナイロビ→ナクル湖
- 3日目:ナクル湖→ナイバシャ湖→ナイロビ
- 4日目:ナイロビ→ナマンガ→アルーシャ→ンゴロンゴロ
- 5日目:ンゴロンゴロ
- 6日目:ンゴロンゴロ→マサイ族の村→オルドバイ渓谷→セレンゲティ(キャンプ)
- 7日目:セレンゲティ(キャンプ)
- 8日目:セレンゲティ(キャンプ)
- 9日目:セレンゲティ→キブツファーム→マニヤラ湖
- 10日目:マニヤラ湖→ナマンガ→アンボセリ
- 11日目:アンボセリ→ナイロビ→ドバイ
- 12日目:ドバイ→羽田
マサイ族の集落
マサイ族は、伝統的な生活様式を今なお守り続ける「誇り高き」原住民族。
ケニア、タンザニア国境付近に住み、狩猟と牛の放牧で生計をたてている。
もともとマサイ族が暮らしていた「マサイランド」に、
あとから国境が出来た。
そのため両国政府の取り決めにより、マサイ族は国境を自由に行き来るのだ。
マサイ族のダンス。カッコイイね/マサイの村の入り口
今日は、ンゴロンゴロクレーターからセレンゲティへむかう途中、そのマサイの集落を訪れる予定。
野生動物を追いかけるサファリの合間に、趣向をかえてこんな社会見学的な体験をするのも悪くないだろう。
日本人とまったく異なる生活様式を目のあたりに して、こどもたちはどう反応するだろうか?
村長さんとご対面
われわれが訪れたのは、広い草原の中にぽつんとたたずむマサイの集落。
オルドバイ渓谷からもそう離れていない。
村の入り口でサファリカーを降り、まず村長さんにあいさつをする。
年齢はわからないが、とても穏やかな目をした老人だ。
握手をした時、体のわりに 大きな手から、われわれの訪問を歓迎している誠実な気持ちが伝わってきた。
入村料
まずこの村長さんに、村への入園料を払う。
料金は大人も子供も1人25ドル。
お金は村長さんの懐にほりゃぁ~っと入るわけではなく、
村に学校や病院を作るための基金になるらしい。
そういう使われ方なら払うほうも納得できるというものだ。
この村では、こうして最初にお金を払えば、村の中で人でも家でも、写真、ビデオ撮りたい放題。他のマサイ族の村では、観光客をまったく受け入れていないところもある。
その意味では、われわれが訪れたこの村は、「伝統的な生活様式」を守っているとは言い難いかもしれない。
集落の形態
簡単に集落について説明しておこう。
まず一番内側に大きな円形の広場がある。この広場は、儀式をおこなったり、夜間に家畜を休ませる場所らしい。そのまわりをぐるっと取り囲むように住居が配置されている。牛の糞と土をかためて作ったもので、大きさや型はちょうどかまくらのよう。とびっきり豪華なやつとかデカイやつはなく、全部同じ型で同じ大きさだ。
さらにその外側、集落の一番外周には、アカシアの枝を積み上げてバリケードのようにしたものが配置されている。
アカシアの木にはとげがあるので、外敵も容易に進入できないのだ。
そしてこのようなマサイの集落をボマと呼ぶ。
村長さんに導びかれて、いよいよ村に入る。
中央の広場では女性が大勢集まり、いかにもアフリカらしいリズミカルな民族音楽を歌っている。
あんまりノリノリで思わずこっちまで踊ってしまいそうだ。その奥では男性がぴょんぴょん跳ねてる。耳たぶにぶら下げているものや、首からじゃらじゃらさげてるアクセサリーも、勢いよく弾む。
マサイ族の子供をだっこするママ
その時小さな男の子が、ママを見て走り寄ってきた。
あんまり可愛いのでママはその子をだっこ。
大勢いたマサイ族の女性たちも、うれしそうに微笑んでいた。
マサイ族のお宅訪問
家の中に入ってみた/ここがキッチンだよ
じゃあ今度は、実際生活している家の中を見せてもらおう。
入り口はせまく身をかがめないと入れない。
中も天井が低く大人は中腰でいっぱい、広さは3畳くらいだ。
家の中は暗いので目が慣れてくるまで何も見えなかったが、入ったところがキッチンだと言う。
よく見ると足もとにたき火をしたような後がある。
「こんなところで料理して食べてるんだ」
そしていちばん奥は寝床になっている。
この家で6人で暮らしているというから確かに狭い。
家を見せてもらったお礼を言い、外に出ると光が眩しかった。
マサイ族の生活
マサイ族の生活はウシに大きく依存している。ウシの乳や血を飲み、ヨーグルトを食べる。畑を耕す時は労働力であり、引っ越しの時は運搬車代わり。糞は家になる。だからそんなに大切にしているウシが、ライオンなんかに食べられちゃったら、そりゃぁ~タイヘン。
ものすごく怒る!
そのライオンを探し出して徹底的に仕返しをするのだと言う。こえぇ~。
マサイ族は1夫多妻制。
男性はウシをたくさん所有していれば、複数の奥さんをもらえるらしい。マサイ族にとってウシは貨幣でもあるので、ウシをたくさん所有しているということは、経済的に豊なあかしで、複数の奥さんを養えると認められるのだ。
家の外に出ると、広場に面して何人かの男性の若者が座っていた。
ぼーっとしてたり、おしゃべりしてたり。
何をしているか尋ねたら、
ぼーっとしたり、おしゃべりしたりしてるんだって。
ってそのまんまじゃん!なめとんかぁ~。
猛獣に襲われた時村人を守ったり、ウシの放牧をしたりする以外、
マサイ族は基本的に
男性は働かないらしい。
ああ、そういうことね、ちくしょー、うらやましいぜ。
手作り民芸品の買い物
ビーズで作ったアクセサリー
中央の広場では、アクセサリーを売っていた。カラフルなビーズで作った、ミサンガやネックレスなど。
まあこれもチャリティーだと思い買おうとしたら1個10ドルだって!いや、いくらなんでもそれは高すぎだから。
1個2ドルに値切って(かといって値切るな)ネックレスを4個買った。
意外と助かったのが、
マサイ族はドルの小銭をたくさん持っていたこと。
こっちはチップ用に小銭が欲しい。マサイ族は大きな紙幣で持っていたい。
それで商談成立。
100ドル紙幣をたくさんの小銭に両替えしてもらった。
マサイ族の小学校訪問
この人がマサイ小学校の先生です
最後に村のこどもたちが通う学校を訪れる。
学校と言っても、
建物はなく、もちろん壁も屋根も床も、机もイスも黒板も教科書もノートもえんぴつもありません。
大きなアカシアの木の木陰が唯一の目印。
え~こんなところが学校なの?
マサイ族の小学校を訪問。授業で生徒たちといっしょに歌を歌う
いっしょに歌を歌うこどもたち/この木の下がマサイの子供の小学校
それでもマサイのこどもたちは一生懸命勉強している。
英語だってちゃんと習って上手にしゃべれるんです。
これにはこどもたちもそーとーショックだったみたいで、日本の自分たちの学校がいかに、設備や環境だけはめぐまれているか理解できたみたい。
じゃあ、きちんと宿題やろーね。
近年はマサイの村を出て、町で生活する若者も多いそうだ。それでも大半のマサイ族は、自分の生まれた土地に住み、伝統的な生活を守ってつつましやかに暮らしている。
日本でもつい50年前までは、地方の相当なへき地でも人の住む村があり、その土地独特の産業や文化を育んでいた。
ところが千年以上存続していたこのような集落が、
たったこの50年の間に次々と消滅しているのだ。
都会に移り住み暮らすようになった日本人は、幸せなのだろうか?
マサイの村の小学校で、こどもたち笑顔を見てしみじみ思う。
小学生の生徒たちが英語の歌を披露してくれ、こちらも子どもが6人いるので、何か歌でお返ししよーということになり「僕らはみんな生きている」を歌った。
こうしてつかの間の、でもとても強烈な体験をしたマサイ族の集落をあとにするのだった。