パナシナイコスタジアムと旅育の観点から見るオリンピックの精神
💕ども、ヤーサス、子連れ海外旅行をこよなく愛するイルカパパです。小2、小5の子連れで個人手配のちょっと変わったそしてよくばりなギリシャ家族旅行を楽しみました。
ゼウス神殿を見学したあとは直線距離で500mも離れていないパナシナイコスタジアムへ行きました。今回のブログ記事はそのときの子連れ観光体験記です。
古代のオリンピック
ゼウス神殿をあとに、オルガス通りを少し東に歩くと、第1回近代オリンピックの会場となった、パナシナイコスタジアムが見えてくる。
オリンピックは、紀元前776年にペロポネソス半島東部の都市国家オリンピアで始まったギリシャ最大の競技会。
当時のギリシャには、アテネやオリンピア、スパルタなど1000を超える都市国家/ポリスが林立していたが、オリンピック開催期間中は、たとえ戦争状態であっても一時休戦し、各都市国家は選手や応援団を送り込んだ。
最高神ゼウスの祭典として4年に1度開催されていたオリンピックは、それほど神聖なものだったのだ。
古代ギリシャの人々は「健全な身体には健全な精神が宿る」という考えを持っていた。
オリンピックが神聖視されたのは、肉体を鍛えることで、知性、教養、精神といった総合的な人間性が育成され、神に近づけると信じられていたから。競技を通じ人間の優れたあり方を示し、神に近づくことを理想としたのが、古代オリンピックだったのだ、おお〜〜。
その古代ギリシャにおけるオリンピックは、4世紀後半まで、実に1200年間も続いた。
クーベルタンのメッセージと旅育
それから1500年の時が流れ、クーベルタンの尽力により、オリンピックは近代オリンピックとして復活する。それが今、わたしたちの目の前にある、アテネ・パナシナイコスタジアムをメーン会場として開催された、1896年の第1回近代オリンピックだ。
クーベルタンは今でこそ「オリンピックの父」と賞賛されているが、彼が第1回近代オリンピック開催にこぎ着けるまでの道のりは決して平坦ではなかった。と言うよりスッゲェ~~いばらの道、あひゃぁ〜。
クーベルタンの祖国フランスは、普仏戦争で屈辱的な敗北を帰する。その敗因が教育システムにあるとして、フランスの学校の現状を調べたクーベルタンは、愕然とする。
フランスの学校は、一般的に大都市にあり、石とレンガの建物に囲まれて校庭がない。そこでこどもたちは知識だけを詰め込まれ、知性ばかり太らせて、体力と精神的エネルギーが疲弊しきっていたからだ。
一方、当時ヨーロッパで最もすぐれた教育システムを持つとされた、イギリスのパブリックスクールは、
四季の花が咲き乱れ、緑の牧草地が広がる豊かな自然に恵まれた、地方の小さな田舎町にあり、こどもたちの靴はいつも泥まみれ、一身に遊びやスポーツに身をゆだねていた。
簡潔に言うと、イギリスの教育では人間を作り、フランスの教育では人間辞書を作っていたのだ。
このことの反省からクーベルタンは、高潔な規範と行動力、自分自身で学ぶ自立心、惜しむことのない犠牲心、を持つ、輝かしい人間性を育む手段として、スポーツ教育の重要性を唱えるようになる。
やがてそれが「健全な身体に健全な精神が宿る」という古代ギリシャの考えと結びつき、人間性開花の手助けをする教育の最高のステージとして、オリンピック復活を提唱することになったのだ。
とは言ってもここから先はもっと大変。
次から次へとクーベルタンの行く手を困難がふさぎ、絶望的な状況に押しつぶされそうになりながらも、決してくじけることなくゴールを目指すのだが、そのことについてはまた別の機会にお話しするとしよう。
🐬ここで留意すべきは、旅行先で訪れた場所や史跡について、こどもといっしょに調べてみよう!ということ。
歴史上の偉人たちの夢への軌道をたどることで、未来のこどもたちに託された素晴らしいメッセージを見つける事ができるだろう。そしてそれもまた、旅育という観点から子連れ海外旅行がわたしたちに与えてくれる貴重な贈り物だ。
パナシナイコスタジアム観光情報
入場料:大人5ユーロ、子ども2.5ユーロ *共通チケットは使えません。
休館日:なし
営業時間:8:00-19:00(11月〜2月は17:00終了)
パナシナイコスタジアムの地図
子連れ見学でおすすめのアクション
- 表彰台に立つ
- トラックを走ってみる
- 大理石の観客席に座る
- オリンピック博物館を見学する
オリンピックデータ
第1回大会で実施されたのは8競技42種目。13カ国295名が参加した。一方、2004年に行われた第28回アテネ大会では28競技301種目。202の参加国・地域で11099名が参加した。
こども時代に体験すべきこと
ところで、クーベルタンが生きた時代のフランスの学校の状況は、まるで現代の日本の教育とそっくりだと思いませんか?
草木の生えないコンクリートの建物に囲まれて、知識だけを朝から晩まで詰め込まれる。睡眠時間を削って塾通いを強要され、疲れ果てて、体力も精神力も消耗していく。
クーベルタンの考えに従えば、受験すること自体が悪いのではない。
こども時代という貴重な時間に、受験のための勉強、知識だけを水ぶくれのよに詰め込む勉強しかしないことがよくない、ということです。
こども時代は、自然と触れ、身体を動かし、様々な実体験をすることで、将来、無限の人間性を開花させるための栄養をたくわえる時期なのだ。
ましてや親の自尊心を満足させるために、こどもにいい学校に行って欲しいと願い、そのために大切な時間を犠牲にして受験勉強をさせているなら、言語道断です。
人生はマラソン競技のようなもの
こども時代に体験すべきことを体験しないで、たとえ、目先いい小学校や中学校に合格したとしても、長い長いマラソンレースを最後まで完走することは決してできないでしょう。
子育ては、健全な身体と健全な精神を育むことだと、肝に命じよう。
マラソンの復活
さてクーデルタンの努力によって1896年アテネで開催された第一回近代オリンピックには、粋なはからいが用意されていた。
故事にちなんで、マラソンからパナシナイコ競技場までのマラソン競争が加えられたのだ。
参考にされた故事、マラソンの戦いとは
🐬紀元前490年、アッティカ半島東部の町マラトンに、アケメネス朝ペルシャ帝国の大軍団が上陸。迎え撃つアテネ、プラタイア連合軍は、圧倒的不利な状況からペルシャ軍を打ち負かし、逆転勝利をおさめる。この勝利の知らせを持ってマラトンからアテネへ走った伝令は、アテネの城門まで走りつきアテネの勝利を告げたまま絶命したと言われている。このとき伝令が走った故事に基づいて、マラトンからアテネのパナシナイコスタジアムまでの競争として始まったのが「マラソン」だ。
第1回近代オリンピックのフィナーレを飾る競技としておこなわれた新しい陸上競技、マラソン。人々は選手たちの激戦に感激し熱狂し大いに盛り上がった。このときのマラソンレースの成功がなかったら、オリンピックはそれで終わっていたかもしれない。
2004年8月、108年ぶりにアテネに戻ってきた第28回近代オリンピックで、マラソン競技のゴールとなった場所も、このパナシナイコスタジアムだった。
女子マラソンで、日本の野口みずき選手が、トップでこのスタジムに登場し金メダルを獲った時の感動は、まだ多くの人々の記憶に新しい。
マラソンビーチからパナシナイコスタジアムへのルートマップ
*グーグルマップの道路地図では最短コースが表示されるので42.195kmになりません。
アテネクラシックマラソンの公式サイト:https://www.athensauthenticmarathon.gr/site/index.php/en/
パナシナイコスタジアムと旅育の観点から見るオリンピックの精神のまとめ
パナシナイコスタジアムに関連する話として、古代ギリシャのオリンピック、マラトンの戦い、クーベルタンの教育理念、そして野口選手のマラソン金メダル、を紹介してきました。
子連れ海外旅行に子どもの教育的効果を加味する「旅育」という考えで言うなら、子どもと訪れる場所やそこでおこった出来事、関わった人たちについて事前に子どもと話し合うことがより旅育の効果を高めるでしょう。
このブログ記事があなたアテネ・ギリシャ子連れ旅行の何かしら足しになったならとても嬉しいです。それではまたお会いしましょう。